晴れた日の午後、冷房下、後日談

 さて、この前選挙カーから聞こえてくる声がちゃんちゃらって話をしましたね。行きましたよ、期日前投票。どの政党に、誰に、投票したか。まあそんなことはあなた方には係わりのないことです。投票は権利だ。では私がその権利を行使した理由を話そうと思う。
 上に述べたように参政は権利だ。義務ではない。だから投票所に行って紙に何かしら書いて箱に入れたのは自分の意思の他ならない。してもいいけどしなくてもいいこと。そしてどこかに出向くという少しの面倒を含む行為。そんなものは生きていると数多ある。その中の一つである投票を行った大きな理由は興味があるからだ。政治そのものもそうだが、政治家という「人」やそれを選ぶ「人たち」に興味がある。幸い、この人たちがどういうつもりなのかを知る権利も、そのうえで選ぶ権利も与えられている。だから私は投票所へ行った。

 ここでちょっと寄り道をする。選挙活動が始まると政治家たちはマニフェストを掲げる。時には迷惑に感じるほどの音量で、外部へ思いを撒き散らす。小学生にだってもっと小さな子どもにだってにこにこと手を振ってやる。そうして叫んでいた公約は、チラシとなって私の家のポストに押し込まれた。さあ投票に行こうとその紙を開いて笑ってしまった。あの文字たちから私たち有権者は、一体何を感じ取ればいいというのだろう。公約が書いてある。各々の理想がびっしりと描いてある。だがどうだろう。そんなことは誰にだってできる。理想の公約を掲げるだけなら、子どものほうが美しいものを作り上げることだろう。これは私がまだ有権者の中では若くシステムに慣れていないから考えてしまうことなのかもしれないが。ハウツーを知りたいとどうしても思ってしまう。それを知るにはもっと意欲的でなくてはならないのだろうか。どの人の夢を一緒に物語るかなんて決めるのは難しい。政治は現実のためにあって欲しい。他党を無責任に否定して代替案もなさそうな政治家の顔写真を見ていると、流れで政治に手を出した若き日の誰かの気持ちもちょっとわかる気がした。と、戯言が延びた。かたじけない。

 本題に戻る。私が選挙に行ったもう一つの大きな理由。それは、文句を言うためだ。何も参政というのは選挙のときだけに芽生える権利ではない。普段から大臣やら統領やら官房長官やらやらがメディアを介して私たちの目に晒されている。そこで今の日本は、そのための政治は、どうなっているのかある程度知ることができる。そういうニュースを見て、何か怒りや称賛やらの感情が芽生えたときに、堂々と生きていたい。気に食わなければ文句の一つでも言っておきたいし、良いと思えば褒めてみたい。自分が左右される政治について、ある程度自分の意見を持っていたい。選んだ政党や政治家が公約を叶えられないとき、選ばなかった者たちの政策が依然しっくりこなかったとき、私はいつでも野次を飛ばせるように、念のために投票に行ったのだ。

 さて、あなたがオーバーエイティーンで(日本国籍で)あれば選挙権があるだろう。つまり投票に行くか否か選べるということだ。参政は権利だ、義務ではない。だからあなたは選挙に行かなくたっていい。せいぜい、憲法がどうなろうが、原発がどうなろうが、社会保障・年金制度がどうなろうが、誰が国を担おうが、口を開けて眺めていればいい。羽虫の数匹、懐いてくれることだろう。グッドラックトゥーユー。

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