「プッ」とするたかしくん

 「プッ」。たかしくんがキレのいい音でスイカの種を飛ばした。衝動に駆られて、「プッ」。私も口から種を飛ばした。たかしくんがスイカの種を、口から庭に吐き捨てたから、私もスイカの種を、口から庭へ吐き捨てた。それがとても、不思議だと思った。さっきあの瞬間、たかしくんがもし鼻をほじって爪に引っかかった鼻くそを食べていたとしても、私は真似をしなかっただろう。庭のアマガエルをとっ捕まえていても、私は興味を示さなかっただろう。

 それなのにどうして、スイカの種を口から「プッ」と飛ばすことは、たかしくんに倣ったのだろう。もしあの時たかしくんが、種をそのまま飲み込んでいたなら私は、その時点ではまだ私の口内にあったスイカの種を、どう処理しようと考えただろう。その答えを今さら出すことは出来ない。だって私は、スイカの種の正しい始末を知ってはいないから。でも、庭に「プッ」とするのは、行儀が良くないことだとは察しがつく。それなのにたかしくんは当然のように、「プッ」とした。私もまた何の疑いをもつこともなくそれを、「プッ」とした。

 自分でその行動を選んでおいて、私はそのことが可笑しくて堪らない。たかしくんの正しさを無条件で信じて真似っこしたことが、おかしい。どうして私は、スイカの種を、庭に、「プッ」としたんだろう。

 考えて思ったんだけど、多分あれは、運命だったんじゃないかな。きっとそうだ。だから私は否応なしにそうしてしまったのだ。そうに違いない、と信じてしまいたい。私はあの時、スイカの種を、庭に、「プッ」とする運命だったんだ。そうしたらもしかしたら、たかしくんも、庭にスイカの種を勢いよく吐き捨てる運命にあったのかもしれない。何だか少し、たかしくんに悪い気を持っちゃって、ごめんね。

 でもね、もしかしたら、私たちに運命なんて与えられていないのかもしれない。それなら、もしそうなんだとしたらきっと、あのスイカの種は私たちに、「プッ」「プッ」ってされる、運命だったということね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?