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バリキャリ×ワーママだった私がコーチになったワケ

これまでの歩み

「誰かに認められたい」

これまでの私はこの言葉を原動力に自分を奮い立たせ、
誰にでも「評価される」自分になることを無意識的に人生の目標としていました。

しかし、いつも心のどこかでモヤモヤを抱えていました。

「自分のやりたいことがわからない。」
「自分の人生、本当にこれでいいのかな?」

キャリアと家庭を両立させ、一見すると恵まれた人生。
でも、なぜかいつも心は満たされず、私の心にはモヤモヤが付きまとっていました。
特に子供を出産し、ワーキングマザーとして、キャリアと子育てをしていく中で、そのモヤモヤはどんどん大きくなり、次第に私の中で葛藤や苦しみを抱えるようになりました。

しかし、パートナーの海外駐在をきっかけに
一度自分と向き合う中で、ようやくその答えが見えてきました。

その答えは「ありのままの自分」を受け入れることができず、常に他人と比較したり、他人の期待に答えようとしている「他人軸」の自分がいたからでした。

ここでは、他人軸を手放し、「等身大の自分」で自分のやりたいことをできるようになるまでのお話をお伝えできたらと思います。
少し長いですが、お読みいただけたら嬉しいです。

努力が得意な元優等生〜学生時代の私〜


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<小学校&中学時代>

長野の田舎で育った私は、学生時代はいわゆる優等生でした。
小学校の時から「しっかり者」と言われ、習い事をすればちょっとした賞をもらったり、何事も卒なくこなしていました。とはいえ、小学校の頃までは、あまり目立つことが好きではなく、恥ずかしがり屋で、控えめな子でした。そんな自分に変化が訪れたのが中学校。最初のテストで学年1位をとりました。
明確にランキングとして表されるため、周りの評価が一気に変わったという感覚をいまだに覚えています。
そこから「すごい」、「さすがだね!」と言われるようになりました。
通知表もほぼオール5。所属していた吹奏楽部では部長をやり、生徒会でも委員長などをやっていました。

家族・親戚の中でも褒められ、学校でも一目置かれるようになり、周囲に自分が認められることが嬉しい。なんだか、それに心地よさも感じてしまい、気づいた時には「すごい」と言われるために、に努力するようになっていました。
他人からすごいと言われることが評価軸になっていたため、夢や目標は特になく、「高校、大学に進むにつれてやりたいことは見えてくる」という親や学校の先生のいうことを信じ、とにかく順調に敷かれたレールを歩んでいました。

<高校&大学時代>

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高校は県内1・2位を争う進学校へ。もちろん田舎から出てきた私がちょっとの努力でトップに躍り出ることなどできず。最初のテストでは下から1/3に入ってしまいました。それでも、決められたことに対し、努力をすることが好きだった私は部活も勉強も両立させたい!(両立することで、みんなにすごいと言われたいという思いが心の底にあった・・・)と思いを抱えながらをやりながらも、超ストイックな3年間を過ごし始めます。
実は、高校まで片道1.5hかかっていました。(しかも電車は1時間の1本!w)
毎朝6:00前には家を出て、電車の中ではひたすら予習復習、部活をやっている以上3時間の勉強時間は確保できない、だから授業中にできるだけ吸収しようと授業を真剣に聞き、授業後は19時過ぎまで部活。帰宅はいつも21時前。そんな生活をストイックにしていました。

そんな努力の甲斐あってか、担任の先生や友人にも「すごい」と認められるようになり、自分の承認欲求やプライドを満たしてくれました。

高校生活のほぼすべてを捧げていたと言ってもいいほどの部活(吹奏楽)では、副部長やパートリーダーを任され、高校3年の時には、県大会で「金賞」を受賞し、県代表として全国大会手前の大会に出場することができました。

そして、勉強面でもコツコツ積み重ねてきた努力が報われ、「早稲田大学」への合格。勉強だけでなく、青春も謳歌したまさに文武両道の超充実した高校生活。この経験が「努力すれば報われる」という私の成功体験となっていくのでした。

大学時代は、東京でキラキラした生活を送りたい。そう願い、学生NGOのサークルに入って、ボランティア経験したり、バックパッカーしたり、朝まで飲んで遊ぶ!カラオケ!みたいに、いかにも大学生な生活をして楽しみました。

勉強についても努力を怠らず(実は大学時代の成績はほぼ「優」!)、就活も持ち前の努力を発揮して、「トヨタ自動車」への内定をいただくことができました。
「学歴や肩書きなんて関係ない!」と思いながらも、有名大学・大手企業にに入ることができた私は「自分の人生結構イケてるかも!」とテングになっていたかもしれません。無意識に、ステータス・肩書きで、物事をはかってしまう自分がいました。そして、それらは私の承認欲求を満たしてくれる、、気づいた時には、このステータス・肩書きを手放すことができなくなっていたのです。

キャリアウーマン目指して 〜社会人時代の私〜

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いわゆる優等生で過ごしてきた私の次なる目標は、誰にでもすごいと言われる「キャリアウーマン」になることでした。

トヨタに入社してからは総合職として、まずは営業系の仕事で新商品の販売やマーケティング関係業務に携わりました。その後、入社7年目の頃に人事に異動し、研修を中心に人材育成の仕事を担当します。

入社当時は、「早く一人前になりたい!」そんな思いでがむしゃらに働き、
「仕事!残業!飲み会!」というthe 日本のサラリーマン!という生活。

ヘトヘトになりながらもキャリアウーマン夢見て、ブルドーザーのように仕事をこなしていました。

結婚も出産もタイミングを考えに考え、常に逆算の人生。長期連休のたび海外旅行に行き、休みの日にはおしゃれレストランでランチをしたり、キラキラ女子まがいな生活をして、人生を謳歌していました。

しかし、このように順風満帆な日々を過ごしているのに、
なぜかいつもモヤモヤしていることに気づきます。
仕事も大変ではあるものの、なんだかんだで楽しいし、やりがいもある。

特に、子供が産まれ、育休復帰をし、
ワーキングマザーとして育児と仕事の両立を始めてからはその正体のわからないモヤモヤがますます強く
なっていきました。

心が豊かでない日々 〜ワーキングマザーになった私〜

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育休から復帰し、感じたことは本当にワーママは常に時間との勝負
私も、育児に仕事にいろんなことに追われてイライラ。頭はいつも日々の段取りでフル回転。

夕飯作りながら資料のこと考えて、
寝かしつけながら明日の打ち合わせのこと考えて、
仕事中はお迎え時間とにらめっこ。
トイレに行く時間すら、惜しい・・・・・・!
突発なんて起こった日には白目。

家に仕事を持ち帰り、寝かしつけ時は早く子供が寝ることをひたすら祈る。
いつの間にか、ただただ目の前のタスクをこなす日々。
余裕など一切なく、気づいたら、何をみても無感動
になってしまいました。

夫には笑わなくなったと言われたのもこの頃からでした。
子供にもいつもイライラを八つ当たり。
毎日が全く楽しくありませんでした。

お金はそこそこ稼いでいる。
子供にも恵まれ、幸せな日々。なはず。なのに、心が豊かじゃない。

「今やってることって自分のやりたいことなの?」
「自分が望んでる生き方なの?」
「自分本当にこのままでいいんだっけ?」

そんな疑問がふつふつと湧き上がってきました。

でも、これは全て自分が選択してきた人生。
今の自分を否定することは、これまでの自分の人生を全て否定してしまう気がして怖さから自分と向き合うことができません
でした。

時間がないことを言い訳に自分と向き合うことから、ずっと避け続けてきました。そして、そんな自分が言い聞かせていたことは
「端からみれば、恵まれている人生。私は贅沢なことを言っている。甘えるな」
「自分でこの道を選択したんだから、我慢すべき」
「キャリアも家庭も順調だし、私は幸せ!!もっと頑張らなきゃ!」

こんなふうに、自分を責め、心のモヤモヤに蓋をしていました。
そして、自分のやりたいことがわからず、漠然とした不安を抱えた私は、目標を探すためにも、自身の「志」に向き合いつつ、スキルアップもできるグロービス経営大学院への入学を決意し、MBAの取得を目指すこととなります。
そして、このことはただでさえ時間もない中、さらに自分を追い込んでいくのでした・・・

突如訪れた夫の海外駐在 〜駐妻になる決断をした私〜


そんな時に突然、夫の海外駐在(ロシア)の話が舞い込んできました。

「キャリアを中断したくない!!!!」
「育休でただでさえ、ブランクできたのになんでまた私が犠牲になるの?」
「女性ばっかり、なんでこんなに悩まなきゃいけないの?」

こんな思いが私の中で錯綜しました。

家族かキャリアか
行く直前まで、帯同するか悩み続けました。
(悩みすぎて胃が痛くなるほどでした・・・笑。)

このまま1人日本に残れば、ワンオペ。
こんなモヤモヤ抱えたまま、さらに過酷になる生活に耐えられるのだろうか。

仕事面では目前に迫る管理職昇格。
この先このモヤモヤが抱えたままでは、
リーダーとして部下をまとめ、責務を果たしていくことができるのだろうか。すでに心に余裕はなくなり、いつか仕事と子育ての両立に耐えられなくなるのではないかと大きな不安を抱えていました。
当時の私は自分の生活に自信を持って「Yes」と言えませんでした。


悩んだ末、せっかく得たこの帯同期間を新たな自分に向けたチャンスとして捉えることにしました。
自分と徹底的に向き合ってみようと決意をし、パートナーと息子と共にロシアへ行くことを決断しました。

モヤモヤがなく、楽しく日々が過ごせるように、
心からやりがいを持って仕事ができるように。
自分が心の底から望んでいる生き方や働き方と向き合うために。


ロシアで自分自身と向き合う 〜コーチングとの出会いと他人軸だった私〜

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ロシアに渡航してからは徹底的に自分と向き合うことをしました。
自己理解を深めるために、ストレングスファインダーを受けたり、自己理解に関わる本を読みあさったり・・・
キャリア支援のセミナーにも参加しました。

自己理解を深めることで、内省が深まり、
自分の思考の癖やパターンが見え、とてもスッキリしたことを覚えています。しかし、次に直面した壁は自分を変えることができないことでした。
長年培ってきた他人軸である自分の性格やモノの考え方を変えることは、簡単なことではありませんでした、

そこで出会ったのがコーチングでした。
コーチングを通じ、これまで蓋をし続けていた「弱い」自分と深く向き合うことになりました。
この時の体験は自分にとって非常に辛いことでしたが、負の自分ともきちんと向き合うことで、モヤモヤの正体に気づくことができたのです。

私は「ありのままの自分」を受け入れることができなかったのです
ありのままの自分を自分で認めてあげることができないから、
常に他人と比較したり、他人の期待に応えようとする「他人軸」の自分がいた
のです。

自分の人生を振り返って見ると、田舎出身のいわゆる優等生タイプ。
周りから「さすがだね!」と認められることが心地よさを求め、自分を認める基準が他人からの評価に変わっていました

無意識のうちに承認欲求が強くなり、特に子供が産まれてからは
妻として、母として、会社員としてそれぞれの立場で「評価されたい」という思いを持ち、自分自身で「理想」のハードルを勝手に上げ、苦しめていました。

他人からの評価で生きてしまったため、自己肯定感の低く、自分に自信がない。自分の人生になのに、全く主体的になれていなかったことにようやくここで気づいたのです。
(これがまた厄介なのが、去年までの自分は、主体的に生きていると思い込んでいたこと。。自分幸せ!と言い聞かせていました笑・・・)

本当の自分にひたすら蓋をしつづけ、重たい鎧を身に纏っている自分に気づいてからはその鎧を脱ぎ捨て、自分に素直に、ありのままの自分で人生を歩むことを望むようになりました。


コーチを志す 〜やりたいことに出会えた私〜


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コーチングはコーチとの対話や問いかけを通じ、気づきを得て、意識と行動の変容を起こすことを支援するコミュニケーションです。
コーチングを受けるにつれ、表面的ではなく、内面から本質的な変化を起こし、驚くほど前向きに意識と行動が変わっていくコーチングに魅了されました。

次第に、おこがましいかもしれませんが、私と同じようにライフステージの変化により、苦しみや葛藤を抱えている女性が、「自分らしく輝く人生を送る一歩を踏み出すサポートをしたい」そんな思いが生まれ、自身もコーチとして活動をしていきたい、と考えるようになりました。

また、コーチを志した理由の根底にはもう1つの理由があります。元々人事として働いている時から持っていた「人それぞれの個性や強みを尊重し、一人ひとりが生き生きと主体性を存分に発揮できる世の中を作っていきたい。」ということ。
働いている中で痛感をしたのが、多くの人が組織の論理に合わせ、やらされ感で仕事をし、死んだ魚の目をして働いている。入社した頃の希望と夢への輝きを失ってしまっていることでした。中には仕事ができなくなってしまう人もいる。そんな人たちを見て、何か自分にできることはないか、ずっと自問自答をしていました。
コーチングを通じ、自己理解を深め、自分の大切にしている価値観や思いと改めて向き合えたからこそ、やりたいことに出会えたと感じています。

コーチングへの想い 〜心地よく、ゆっくりと、「陽だまり」のように。〜

クライアント様が「心から充実している」と感じる人生を歩んでいくことを目的にコーチングを提供しています。冬のひだまりが春に向け、深く降り積もった雪を解かし、新たな春の訪れを感じさせるように、コーチングを通じ、クライアント様が気づかないうちに縛られているあらゆる「すべき」や心のわだかまりを解かし、新たな人生の幕開けを一緒に伴走させていきただきたいと思います。

Instagramでも、私の思いやロシア生活のことを発信しています。もしよかったら見ていただけると嬉しいです♪もうすぐHPも開設予定です!




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