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親になって初めて

今からひと月前、親になった。

リビングと地続きになっている子ども部屋の、ベビーベッドの横に敷いた布団の上でこの文章を書いている。あと1時間で授乳の時間だ。疲れているし寝た方がいい。けれど疲れているから眠れない。

こういうときはだいたいAmazonで本を衝動買いしてしまう。ずっと読みたかった、よしながふみの『西洋骨董洋菓子店』(Kindle版)と、出ていることに1年近く気づかなかったジュンパ・ラヒリの新しい短編集(紙の本)。これから子どもの物が際限なく増えるのに、本を増やすことに罪悪感がある。でも、必要なものは必要だ。すぐに読めるのかはわからないけれど。

今日、両親が家に来て、初孫である息子の一挙一動をベタ褒めして帰っていった。孫は手放しで可愛いのは本当らしい。私もおじいちゃんっ子だった。息子にとって、祖父母の存在が親とは違うお守りになってくれればいいな、と思う。

ひと月前、私は今までの人生で一番死に近づいた。比喩表現ではなく、事実として。陣痛中に子の心拍が下がり鉗子分娩になり、子は無事に産まれたものの、私の方がそのときの傷が元で多量に出血し、大学病院に緊急搬送されたのだ。意識はあったからまさか死ぬとも思わなかったけれど、後から状況を聞いたところ、適切に処置をしてもらえなかったら子も私もなかなかに危なかったようだ。「生きててよかった」という言葉をこんなに切実に使ったのは初めてだ。医療従事者の方、献血をしてくれた方、本当にありがとう。

生き延びて親になったひと月。先輩ママから「精神が崩壊するよ」と言われていた最初の1ヶ月。夫が育休を取ってくれていなかったら確かに崩壊していたと思う。息子はとてつもなく可愛い、愛おしい。いろんな人が祝福もしてくれる。しかし、眠い疲れた痛い体が元に戻らない同じことの繰り返しで1日が終わる先が見えない社会から取り残される眠い、こととは別だ。ひとりじゃ無理だ。少なくとも私には。というか、本来人間は群れで子育てする動物なんじゃないか。猿だってそうなんじゃないか。よく知らないけど。

自分が哺乳類だと実感する授乳の時間がもうすぐ迫っている。哺乳をする本人はまだ寝息を立てて寝ている。乳児でいる時間などあっという間なのだろう。最近読んだ漫画に、「お母さんは君のことを何があっても大丈夫なように育ててくれた」というような台詞があった。今はそれだけを望んでいる。君に何があっても大丈夫なように。君の人生のうち、そばで守れるのはほんの数年だろうけれど、その先も、君がちゃんと生き延びられるように。ただそれだけを。

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