見出し画像

いつかのハムスターとme and youについて

2021年5月19日(水)
毎日分単位のto do listを上からこなしていくような生活をしていたら、すっかり思考が上滑りするようになってしまった。何を見ても読んでも、時間だけが気になって途中で止めてしまう。

珍しくドラマはよく見ている。『大豆田とわ子と三人の元夫』と、『珈琲いがかでしょう』と、『あの時キスをしておけば』。能動的に読み解かなければいけない文章よりも、傍観者で居続けられる映像作品の方が楽だからだと思う。

今月から子どもの慣らし保育が始まり、次第に契約通りの時間に送り迎えができるようになってきた。日中、がらんと空いた部屋と自由時間を前にすると、昔飼っていたハムスターのことを思い出す。さっきまでゲージをガリガリ噛んで、ここから出せ出せとうるさかったのに、いざ扉を開けると、ぽかんとした顔であたりを見回し、なかなか外に出てこなかった小さくて臆病な動物。それと一緒だ。さあ、なんでも好きなことをしていいよと言われると呆然と立ち尽くしてしまう。結局、またいそいそとto do listを作り、家事を前倒しにこなして、あっという間にお迎えの時間が来る。その後は子を見ているだけで自動的に一日が終わる。

終わりのない仕事、初めての妊娠出産、延々と続くコロナ禍、ワンオペ育児家事、そして、父親の突然の余命宣告と闘病生活の始まり。自分でも思っているより傷ついているんだろうと思う。でも厄介なことに、それらの出来事を隠れ蓑にして、自分自身を見ないように、できるだけいろいろなことを思い出さないようにしているのも事実だ。書くことは自己治癒の一環だと信じていながらも、その治癒には代償がある。今はその代償を払いたくないと、心が頑なになっている。

それでもこうして何かしらの文章を書いているのは、Gmailのスターをつけたままにしていたme and youのニュースレターをようやく読めたから。以前一緒にお仕事をしたこともある、信頼している同世代の女性たち(前にnoteに書いた、she isを運営されていた方々)が書いているもので、彼女たちの文章を読むと、ああそうか、自分もこういう感情があって、こんな景色を見ていて、こんな本が読みたかったんだ、と思い出させてくれる。

スクリーンショット 2021-05-19 11.08.24

彼女たちにお便りを書くのをまずは目標にしようかなあと思う。もっと仲良くなりたい人には、自分から話しかけるに限る。頑なになった心のリハビリ。曖昧なものごとや、わからないものごとを、そのまま抱えて育てられる強さを持つための。

書いていて思い出したけれど、飼っていたハムスターは、ある日夜中に自分でゲージを開けて脱走した。翌朝怪我をして見つかって大騒ぎになったけれど、自らの手で(歯で?)掴んだ束の間の自由時間は、のびのびと楽しかったんじゃないかなと思う。ただ臆病なだけじゃなかったんだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?