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中間色のようなものごとを

長い間、ネイルが苦手だった。

不器用だからマニキュアは上手く塗れないし、たまに成功したとしても、完全に乾くのを待つ余裕がなくて、うっかり指先をひっかけてだめにしてしまう。ジェルネイルはその心配はないけれど、そのまま爪が伸びていくのがうっとうしいのと、オフするのが面倒で、ここぞというときの数回しかやったことがない。

そんなわたしが最近、ちょこちょことセルフネイルを始めている。きっかけは、she isのギフトで毎月届く、中間色のネイルだった。

毎月ひとつずつ届くその色は、Fever pink、Setsuna blue、Mellow mellowなどといった、それだけで、その作り手と友達になれそうな名前がついている。感情のグラデーションを、細やかに見極めて取り出したような色たちで、「今日はピンクが良いんだけど、いわゆる可愛いピンクじゃないんだよね」というような、なんとも言語化しづらい要望にぴたりと答えてくれる。

自分の指先に乗った中間色を見るたびに、少しずつ上達してきたことと、ちゃんとネイルが乾くまで待てる程度の、生活のゆとりを持てていることが嬉しくなる。そして、こういう色をしたものごとに、いつも救われてきたんだった、と思い出す。

何かを白と黒にきっぱりと分けたり、わかりやすく鮮やかな原色で彩ることももちろん必要なのだろうけど、そうすることによって紛れて、ないがしろにされてしまう感情は確かにある。そんなときに、中間色のように繊細な表現がー言葉や、音や、丁寧に愛されて生まれた「もの」や「こと」がー静かに肯定をしてくれた。大丈夫、この世はこんなにも多彩なんだと。

社会に出てから今年で10年目になる。爪を彩る余裕もないほど、仕事や遊びの予定を詰め込んでいた時期は過ぎて、「生活」が同じくらい大切になっている。同時に、白黒つけることに必死になる仕事より、中間色のような感情やものごとを守って育てる仕事をしたいと思うようになってきた。わかりやすい勝敗を楽しめる性格なら、きっとこの先も迷いなんてないのだろうけれど、どうやらそうはなれないみたいだ。

せっかくこの色に気づくことができたんだからと、指先を見ながら小さく誓う。

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