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[バトンリレー企画]ハンドメイド 沼と無限罪庫の怪~上

みゆです。

チェーンナーさん発案のバトンリレー企画がミエハルさんより私に回って来ました。しかとバトンは受け取りましたよ。

この企画の発案者である、チェーンナーさんの記事です。

私の前走者であるミエハルさんの記事です。

バトンリレー企画のルール

では、今回の企画のご説明をします。

【期間】7月20日(火)まで

【バトンリレー】ルール
1.バトンが回ってきたら、noteを書く。
自分が薦めたいマイカルチャーを記事にする。表現や書き方は自由。
2.noteを書いたら、次にバトンを渡すnoterさんを指名する。
指名するnoterさんの最新の記事を貼る。
3.指名するnoterさんは、最大2名まで。
4.チェーンナーさんの記事を貼る。
5.ハッシュタグ、「異文化カルチャーシェア活」を入れる。


【バトンリレー】の返還について
1.バトンをもらったけどnoteを書きたくないという人は、バトンをチェーンナーさんに返還してください。方法は以下のどちらか。
①「チェーンナーさんに返します」という記事を書いたものに、上記チェーンナーさんの記事を貼って投稿。
②チェーンナーさんの記事のコメント欄で「バトンを返します」と申告
返還すると、チェーンナーさんがオススメのカルチャーを書いて投稿されます。
2.バトンをもらって記事を書いたけど バトンを回すのがいやだという人は、チェーンナーさんにバトンを返してください。その際記事に「チェーンナーさんに返します」と書いていただければ、チェーンナーさんが引き取って、おススメマイカルチャーを書かれます。バトンは遠慮なく返して大丈夫です。

☆この文章はミエハルさんがまとめられた物を使わせて頂きました。

私のオススメ異文化カルチャー

私は、いろいろな物に興味を示す性質があります。今回の話を受けるにあたって、何を発信すればいいのだろうと悩みました。

noteの皆さんは様々な事にとても詳しい方が多いので、私の知識程度ではかなわないと思いました。そこで、長く続けている趣味の1つをご紹介しようと思います。

それは、ハンドメイドです。

昔から、物を作るのが好きで細々と続けてきています。一応、販売もしています。

前はminneとtetoteで販売していましたが、tetoteがminneに統合されてしまったので今はminneのみでの販売です。

こうやって、サイトを晒しておいて何なのですが、今現在は販売用の物は作れていません。家族の事や、別に始めた事、本業などでなかなか作る事ができません。この先も、販売は続けていきたいので方法を模索中です。ついでにサイトも手付かずなので、そちらも改善しなければと思っています。

そんな私の唯一の自慢があります。それは、手芸本に掲載された事なのです。

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この本には4点掲載して頂きました。それに、表紙のバッグは私が作った物なんです。声が掛かった時はすごく嬉しかったです。ただ、掲載にあたっての作業は少し面倒な事もありましたけど。

私が作っている物

ここで、私が作っている物を少しご紹介します。

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左上から

オサムグッズの生地のマスク(手縫い!)、ミニバッグ(裏地がオサムグッズの赤い生地)、マリメッコの生地のショッピングトート、リックラックの型紙と生地で製作したブラウス こちらは全て自分用です。

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左上から

黒地に花柄のミニバッグ、フェルトのお花のリース、中が巾着のバルーンバッグ、グレンチェックの大きいトート(画像ではチェックが分かりにくいです) こちらは、リースのみ自分用です。

と、こんな感じの物を作っています。

販売用にはバッグやポーチなどの小物を作っています。私の作る物の生地選びは、洋服選びと同じで割とクセが強い物も少なくありません。だから、万人受けはしませんが、お好きな方にはウケるかと思われます。

販売用ではない物は、作りたいと思った物を作ります。

編み物、レジン、アクセサリー、羊毛フェルト、縫いぐるみなどなど。ただ、こちらの物たちはなかなかうまく作れません。ヘタウマだとか、味がある、と言い換えればポジティブに捉えられるかもしれません。

私のハンドメイド沼の歴史

私がハンドメイド沼でおぼれる事になったいきさつをお話します。

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小5で突然やって来た大高輝美さんのマスコットブーム。流行りに乗り遅れまいとフェルトや刺繍糸を買って作りました。母からもほとんど教わらず、大高輝美さんの手芸本に載っていた方法で独学で作っていました。私のハンドメイドの基本は、学校の家庭科と大高輝美さんの本で学びました。

いろいろ作っては学校で見せっこです。あの頃の女子、半数以上は作っていたかと思います。

そのせいか、その後の小中の必修クラブは家庭科を選びました。そんな時あの雑誌を知るのです。

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手芸フレンドピチ。この雑誌は、学研から隔月間で販売されていました。ちなみに料理フレンドメルという雑誌と交互での販売です。

ピチには、いろいろな物の作り方が載っていました。他には読み物コーナーだったり、お料理のページがあったり、ティーンの手芸のとっかかりにピッタリの雑誌でした。

本の中から、小物や簡単なニット物など作ってみました。あとは、自分で手芸本を買っては、いろいろな物を作りました。マフラー、ポーチ、マスコット、縫いぐるみ、あとはペーパーフラワーなんかも。

生地を1m買ってセット物を作ったりもしました。手提げ、体操服入れ、お弁当袋、ペンケースなどのセットです。自分の中で当時の1番のヒット作が、深緑色の唐草模様で作ったセットです。今でも上手に作ればかわいいし使ってみたいなと思います。

学校を卒業すると、少しハンドメイドからは遠ざかります。それでも、思い出したようにセーターを編んでみたりと細々と続けてはいました。

結婚して子供が産まれると、長女の時はお約束の様に編み物をしたり服を縫ったりしました。また、入園の際には手提げやコップ袋などの袋物を作りました。長女の時というのがミソで、次女の時はまったく作っていません。理由は、下の巻でお話しますね。

子供が産まれてしばらくすると、ビーズで作るアクセサリーが流行りました。私もスワロフスキーのビーズやチェコビーズを買ってはあれこれ作ってみました。キラキラしてキレイでしたよ。

その後は、ベネッセの「はんどあんどはーと」というキット付きの手作り雑誌を定期購読するようになり、また少しずつハンドメイドをするようになります。

10年ちょっと前にあぶく銭が入り、ミシンを買いました。一度にコンピューターミシンとロックミシンの2台を。それからは、ハンドメイド沼にずぶずぶです。

生地を買い、副資材を買い、作り、販売して。平日は仕事をしているので、ミシン作業は週末しかできませんが、それでもオーダーを受けたりなどたくさん作りました。

さらに数年後、中古ですが職業用ミシン(直線だけ縫える頑丈なミシン)も購入しました。

本にも掲載され、いっぱい作ろうと思っていましたが、家族の都合などでなかなか作る時間が取れなくなってきました。それに、年齢的なものか私の気力が落ちてしまっていたのもあります。少しずつ作っていたものの、今は販売用の物は作れていません。

自分の物は、バッグを縫ったり、服を縫ったり。あとは興味のある物を作ってみたり。本当に細々とハンドメイドの沼でおぼれています。また近いうちに、販売用の物も作りたいと考えています。

長くなりました。いったんここで上の巻は終わります。続きは下の巻で。

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