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死ぬときに思い出すだろうなと思う人がいる


人生の最後に、わたしは何を思うんだろうな。

眠れない夜にしょうもない事を考えるのが人間なのかもしれないと思いつつ、目をつぶったところで眠気なんて来やしないので考えてみることにした。


実際、わたしは走馬灯を見たことがある。

気を失って倒れて2〜3分ほどで意識を戻したのだけれど、どうやら頭部を打ち付けていたらしく、頭の奥が揺れていたのを覚えてる。

この2〜3分の間に、ぐるぐると直前に読んでた漫画や、テストの内容や、担任の顔がぐるぐる高速で入れ替わり浮かんでいて、意識を戻した時に「しょうもな…」と思った。


そう、初めての走馬灯はしょうもないものだった。

人生最後に見るものがこんなもんなのか…と、心底ガッカリして、とりあえず身体に異常は無さそうだったので、また漫画を読んだ。気楽である。

当時は気にも止めてなかったけど、本当に人生最後に見る走馬灯がこれだったら死にきれない…と、今になってめっっちゃ嫌だなと思えてきたのである。


じゃあ、本当に死ぬとき何を思うだろうと考える。

おそらくあのしょうもない走馬灯は突発的に意識を失ったことによる衝動的なものだとして、事切れるまで猶予があるとしたらどうだろう??

結婚…してないけど、旦那さん?
子ども…産んでないけど、子どもの顔?
孫…居るわけないけど、孫の顔?

うーん

いやたぶん、1番人生で苦労した人の顔だろうな、とふと思った。

これからの人生の関わり方で違うだろうと思うけど、私の中で大きく人生に関わってきて心臓を苦しめてきた人の事を、最後の最後に思い出すのではないだろうか、と思った。


高校生の頃のバイト先で、これより先こんなひどい人いないだろレベルの特急呪物先輩がいた。
家でも学校でも、バイト先の特急先輩の事をマシンガントークでグチグチグチグチ言っていたら

その人のこと好きなの?」と言われ、

は???????」と、声が出たけれど、
確かに、家でも学校でも、悪口とはいえ、その先輩の話しかしてない=先輩のことしか考えない事になるな…と腑に落ちて「嫌いだから考えないことにしよう!」と結論が出た。

それから私の人生で嫌な目に合わせてくる人は「死んだのだ…」とお葬式をする事によって成仏させ、連絡先はブロックし、職を変え、徹底的に逃げて消し去るようになった。

ここで、初めての走馬灯の話に戻る。
当時の高校の担任の顔が浮かんだ、と書いているけど、私はこの担任が嫌いだった。

登校初日から下の名前で呼んでくるような変な距離の詰め方をされて嫌になってしまった。

嫌っているが故に走馬灯の中にまで出てしまっている。
普通楽しい思い出じゃないの!??となるが、実際は嫌な思い出の方が引き出される事が多いのかもしれない。

だとすると、やっぱり。


ここで死ぬときの走馬灯に戻る。

人生の中で、好きでも嫌いでも、ずっと考えていた人が最後に思い出すのだろうか、と結論が出た。

この先の人生でこの順位は変わってくるかもしれない。
ただ、自分の中で苦しんだり、嬉しかったり、ふとした拍子に記憶が深く結びついて思い出してしまったな、と落ち込んだりする事があるとすれば、その人だろう。

人間の脳は不思議だなと思う。
ふしぎなことだらけで分からない事も多い。

人間いつ死ぬかなんてわからないし、案外しぶとく生きているかもしれないけれど、ただ今だけは、最後くらい楽しい思い出にさせて欲しいな、と思っている。


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