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「子どもの大切なもの」を、私も大切にしてみた夜|#122

「あれ? ”メロン”がない!!」

外食から帰宅し自宅のドアを開けた瞬間、隣にいた娘(4)が声を上げた。え! ”メロン”、ないの!?

娘が言う”メロン”とは、さっきまでいたファミリー居酒屋で、最後に食べていたメロンアイス……、の容器のことだ。
メロン型のフォルムが気に入り、もらって帰ってお風呂で遊ぼう!とウキウキしていた、空っぽの容器。

それがない!という。

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うかつだった。
てっきり娘が持っているものだとばかり思っていた。

お店に置いてきたのか、途中で落としたのか、テーブルを離れる時には持っていたのかどうか……。
あぁ、全く見ていなかった。
だって”メロン”だし(メロンに怒られそうだけど)。


「メロン……。」

ものすごく残念そうな顔の4歳を前に、さてどうする私。一瞬のうちに、いろいろなパターンが脳内シミュレーションされる。


手前味噌だが、娘はこういう場面の聞き分けが割といい。理由を話せば納得し、すぐに気持ちを切り替えられるタイプだ。

だからパターン①はこれ。

《パターン①|おそらく受け入れてくれる》
「残念だったね、どこかに忘れてきちゃったのかもしれないね。でも、もうおうちに着いたし、メロンはあきらめようか。暗いから探すのも大変だよね」


でも私の口を衝いて出たのは、パターン②だった。

《パターン②|採用案》
「探しに行こっか!」


私は探しに戻る方を選んだ。

「うん!!!!」
ぱーっと明るくなる、そんな慣用句のお手本だと言わんばかりに娘の表情が変わる。


私たちは手をつなぎ、来た道を歩き始めた。
道端に落ちているかもしれない”メロン”を見つけるべく、暗がりに目を凝らしながら。



たかだか、メロンの空き容器だ。わざわざ探しに行かなくても、明日新しいのを買えば手に入れられる。

どこに置いてきたのかはわからない。
もしテーブルに置いてきていたら、片付けられているかもしれない。

それでも私が「探しに戻る」パターンを選んだのは、居酒屋まで子どもの足で徒歩5分という近さのせいもあるけれど、「娘の”思い”と”納得感”を大切にしてみよう」と思ったからだ。


* * *


子どもは社会的(家庭内の)立場ゆえに、「都合」が置き去りにされてしまいやすい。言い換えれば、どうしても「親の都合」が優先されがちだということ。

これは仕方ない、何でもかんでも子どもの都合に合わせていたら、日々が立ち行かなくなってしまう。生活リズムや優先順位といったものを教えるのも、親の役割。
親は毎日精一杯生活している。子育てもしている。

でも時に親は、自分の都合を優先することが「当たり前」になりすぎて、子ども時間をなおざりにしてしまいやすい。時に無自覚に……。これは自戒。


以前、こんな記事を書いた。

工作に没頭する娘と、待ち受けるタスクと時計が気になる私の葛藤について書いた記事。いつも良くして頂いているゆーじさんにもご紹介いただいた。

“普段それほど気にしなかった「こども時間」と言う価値に着目し、大人としてどのように考え、寄り添うことができているのか、彼女のこころの動きを愛情いっぱいに描ききっている記事だと感じます。”


今回、”メロン”を探しに戻ろうと思ったのは、「家に着いたから、家に入ろう(=”メロン”はあきらめよう)」というのは、私の都合でしかないと感じたからだ。

探しに戻るのは面倒だし、しょせん”メロン”。
どうしても欲しければ買えばいい。
大人の私は、確かにそう思った。


ところが娘にとっては「しょせん”メロン”」ではない。
食べている最中から、今日のお風呂はこれで遊ぼう!と決めて、ウキウキ顔で食べた”特別なメロン”なんだ。
今日の楽しみを作ってくれた”メロン”なんだ。

だから手元にないと気づいたときの落ち込みようと言ったら!


私の都合を優先するのは簡単だ。きっと娘も聞き入れてくれる。


でもこの日は、娘の「聞き分け」に甘えるのをやめることにした。
娘が大切にしているものを、私も大切にしてみよう、そのためにできる限りのことをしよう!


お店まで戻って探してもなかったら、それはもう仕方がない。ないという事実と自分たちの過失を受け入れるしかない。
それはそれで、一つの経験になる。

それでも、親の都合によってあきらめることを既定路線にされるよりも、「探しに戻ったけれどなかった」事実を得られた方が、娘自身の納得度は高いはず。

そして「ママは、わざわざ戻ってくれた。できる限りのことをしてくれた」と(言葉として明確に認識はできなくても)感じてくれるはず。


娘は大切。だから娘が大切なものは、私にとっても大切。
そんな思いを娘に伝えたいと思ったら「行動」しかないんじゃないか、それが戻る選択をした理由だ。


* * *

立春が過ぎ春めいた日も増えてきたとはいえ、まだ2月。日が沈んだ後の信州は寒い。

「どこにあるかなあ、”メロン”……。」
「お店かなあ?」
「お店の人に聞いてみる?」
「そだね、でも道に落ちてるかもしれないから、よく見ながら行こう」

4歳はおとなしく手をつなぎ、ついさっき歩いた道をまた戻る。


ない、ない、ない。


私たちは結局、居酒屋まで戻ることになった。

そして”メロン”は、出る前に寄ったトイレにあった。
水道の脇に、ちょこんと。


「あったーーーー!!!!」

二人同時にニンマリ。よかった、よかった。



2回目の帰り道、娘の手にしっかり抱えられる”メロン”。
「”メロン”ちゃん、いっしょにおふろにはいろうね」と上機嫌の娘。


片道5分、夜の”メロン探し”。
娘の大切なものを大切にできた。

娘にとっても、そして私にとって最高の幕閉じとなったし、探し物をしながら夜道を歩くというちょっぴり冒険めいた展開にウキウキ童心に返ったひと時だった。


「あ、おほしさまだ!」
小さな手が指さす先には、オリオン座。今度は星空観測にでも出かけようか。
夜のお出かけは、大人もほんの少しワクワクだ。

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