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#2自分史(抗えない力)

「全ては愛の中のことだった」を前提に、自分史を書いています。


幼少の頃の家庭生活は、大変でした。

当時の私が知る由もなかったけれど、その頃の母は、父との結婚前から鬱状態に苛まれていました。(その事実は、数年前のある日、母から聞くことに。)

母の気分はジェットコースターのように、はたまた乱気流のように脈絡なく大きく変化し、それは幼い私ではどうすることもできず、突如吞み込まれるような日々…
私は、その日一日をとにかく、無事に生き延びることに精一杯でした。

母もまた苦しんでいました。

夜、寝ている私(実際には眠れていない私)の傍で「ごめんね」と泣いていることもしばしば...。
おでこに当たる母の手の温もりに、束の間の母の愛を感じました。
(しかし、そんな母の手の温もりを思い出したのは、私が大人になり、これらの体験で味わったものを昇華してからのことでした。それまでは、記憶にも残っていませんでした。苦しかったこと辛かったこと…それらを無かったことのように封印すると、そうではないあらゆるものも、共に消失してしまうのですね。)

しかし母は、自分の衝動が抑えられないときは、穏やかな時とはまるで別人のように、目には憎しみをたたえ、目の前の敵を打ちのめすような勢いで、容赦なく私に拳を降ろし、どこここ構わず蹴り、髪をひきずり回します。
私の頭には常にこぶがあり、身体のあちこちに、痣が消えてはまた出来ての繰り返しでした。

またある時は、何時間も正座をさせ、とうとうと話す(怒る)のです。
その間、少しでも動いたり、聞いていない様子が見えると暴力に変わります。
絶対に気が抜けません。ものすごい集中力が必要です。
母が何と言ったかを突然復唱させられたり、それまでの話の要点をまとめて伝え返すことを要求されるのです。出来なければ、大変な体罰が待っています。

部屋の隅に正座のまま、食事を貰えないことも日常茶飯事。
そのいう時は、両親や妹が食事をしている間も、ずっとそのままです。
父は、私を庇うと母が余計に激昂し、手が付けられなくなるので、あえて黙っていました。
母はなぜか、妹にはこのような行為を一切しませんでした。
(その理由も、大人になって分かるときが来ました。母は、8人兄弟の末っ子で、兄や姉を通して、自分が理不尽で損な扱いを受けてきたと捉えていました。私に、自分の兄や姉を投影し、断ち切れない思いや感情をぶつけていたところも、一端にはあったのかもしれません。)

体罰の後は、昼夜や季節を問わず、外に放り出されることもしょっちゅうで、その後、家にいつ入れてもらえるかは、母次第でした。

母は手を上げながら、
「あんたがバカだから、教えてあげているんだ。
ちゃんと躾をすることが親の役目だから。
こういうことを自分(母)にさせるあんたが悪い。
したくないことをさせられて、こっち(母)の方が被害者だ。」
と、泣きながら私を叩き蹴り、怒鳴るのです。

私は、
「自分がバカだから、いつもお母さんを怒らせてしまう。
次こそは、お母さんを怒らせないようにしよう。
なのに、いつもまたすぐに怒らせてしまうのはどうしてなんだろう。
やっぱり自分がバカだからなのか。
親を泣かせるなんて、自分はとんでもない悪い子なんだろうな…。」
と、自分はバカで、そのうえ極めつけの悪人であるという思いが、どんどん上塗りされるように厚くなっていきました。


今思えば、分かります。

母はその時の気分で怒っていて、決まった何かはないのです。
どうあろうと、気分次第でそれは始まるのです。

しかし、いつ母の逆鱗に触れるか分からないという感覚は、大きな混乱を招きました。
身体の中は、いつもカオスな状態でした。
その状態で、いつ痛い目に合うか分からないという極度に緊張した状態が続くと、いつの間にか緊張の解き方が分からなくなるのです。
眠る時ですら、緊張がほどけない…

これが私が物心ついた頃から中学3年の春頃まで続いたストーリーの一つです。

「私はバカだ。」「私は悪人だ。」という思いは、その後大人になるまで、ずっと馴染みある、そして絶対隠しておきたい恥ずべき自分でした。

また、母の中に見たこの得体の知れない破壊力は、他でもない自分自身の内に息づいている、脈打つようなエネルギーそのものでした。
それに気づくのはずいぶん経ってからのことでしたが…

ただ、この時は自分は絶対こんな大人にならないと、固く決心して生きるのが精いっぱいだったのです。


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