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#1自分史(場面緘黙)

「全ては愛の中のことだった」を前提に、自分史を書いていますが、最近はすっかり止まったままに…。
noteのマガジンという機能を見つけたので、この機会にそちらにまとめながら、続きも書いていこうと思っています。

物心つく頃(3才~4才頃でしょうか)には、現在の自分とそう変わらないイシキが自分の身体の中に息づいていて、思考を巡らしていました。

そして、一体自分は何なのだろう...
大体、自分が何なのかなんて考えている子どもって、おかしいんじゃないか。
いっそこの自分ごと、丸ごと存在を消したいという気持ちが湧きあがってくるのです。

それでいて、死ぬとどうなるのだろうという恐怖が強くあり、死について一度頭をよぎると、なかなかそれを拭うことができなくなりました。

朝まで眠れなくなることもしばしばで、眠れないままに髪を抜き続けたり、腕の皮膚がえぐれても搔き続けたりする衝動を抑えられず、物心がつくと同時に、身も心も混乱で制御不能に陥っていました。

死ぬのになんで生きているのだろう。
死ぬのを分かっていて、それまで生きていくなんて、なんて耐えがたいことだろう。
みんななんとも思わないのだろうか。

そもそも、こんなことをいつも心の中で考えている子どもって相当おかしいのだろう。
こんなこと考えたくないのに考えてしまう自分が苦しい。
いっそ消えてしまいたい。
でも、死ぬのは怖いの堂々巡り...。

またこの頃私は、どの自分をどのように出せばいいのか分からず、何をどう話していいのかに困り、外の世界の中で全く言葉が出てきませんでした。
場面緘黙症というものでした。

自分の意思と関係なく、誰かに何かを言わなければならない場面になると、喉が閉まったような感じになり、声の出し方が分からなくなるのです。

何を言えばいいのかは頭の中にあるのに(例えば、「はい」と返事するとか、「トイレに行きたいです」と先生に伝えるとか。また、順番に何かを話すとか。)、言おうとすると、喉に鉛が詰まったような感じになり何も発することができません。

目の前の人が、困った顔をしたり、さらに何か聞いてきてもどうすることもできず、ただただ、自分の不甲斐なさや情けなさを感じるだけです。

どうして、人が普通にできることができないんだろう。

なんて自分は弱いのだろう。

こんな情けなく恥ずかしい自分を、誰にも気づかれないように隠さなければならない....
(と思いながら、言葉を発しないことで余計に晒していたという矛盾を生きていたのですね。)

それが最初に感じていた、自分自身の原像だったことを思い出します。

場面緘黙の症状は、幼稚園に入った頃から小学4年生まで続きました。

場面緘黙は、言葉が出ないだけで、内側では色んな思いが巡っているし、色んなことが分かっているし、何をどう言えばいいのかも分かっていたりします。
分からなくて言えないのではないんですよね。


この体験は後々、言葉のキャッチボールの軌跡が外側に見えなくても、内側にある軌跡を通してキャッチボールをしていくことができることや、
一見、見えないけれど内側に確かにある何かに気づくきっかけになりました。

そして、外側のコミュニケーションの形(沈黙)にとらわれず、また、相手に対する分からないという狼狽えや不自然な気遣いも湧かず、ただ在るがままに委ねる中で顕れてくるコミュニケーションへの、根拠を超えた安心にも繋がったのです。

根拠のない安心の中で、どこか自然体でいられる感覚は、他でもない私自身にとって居心地よいものでした。
その安心領域の中で少しずつ繋がっていける気楽さが、実はとても大切なものでした。

全ては貴重な体験で、私にとってなくてはならないものだったことを思います。

そして絶望も弱さも恥も怖さも、味わうべくして味わうものだった...。
味わいたかったのだろうという、そこはかとない確信を今は感じます。

全ては大丈夫の上にありながらも、一度そんな全信頼からも、
何もかもから手を離すとどうなるのか...

しかし、この時の自分はこんなことに気づく由もなく、まるで、パズルの1ピースだけで生きていくような心もちでした。



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