母が嫌い

心のうちにしまっておくにはしんどすぎるから、文字にして忘れてしまおうと思う。心のゴミ箱みたいなものとしてnoteを活用していいかは不明だけど、もう不意に思い出して泣いてしまうのも情けないから少しずつ忘れていきたいしアウトプットしようと思う。
だから、この先の文章は、いわゆる毒親だとかネグレクトだとか情緒的な虐待を受けた人とか、あとはHSPの人が読むのは推奨しません。
似たような境遇の人が見たらフラッシュバックを起こすかもしれない。
誤字脱字があっても振り返って読んで添削する元気がないので、許してください。では。






母が苦手だ。それでもなんとか接点を持ちたかった。
なるべくリビングでお茶を飲み、同じテレビを見て、感想を言うなどして話しかけたりして、私なりに時間や感覚を共有しようとした。家族なら、そういう団欒をすると思ったから。

おかえりと声をかけても無視、ただいまと言っても「お前なんかここにいない」と言わんばかりの無視。
本当に昔からだ。小学生の頃あたりから、もうこんな感じだったと記憶している。

昔はめげずに二度三度「ただいま。……ただいまってば!帰ってきたよー」とか「おかえり。……忙しかった?おつかれさまー」などと明るい声で声をかけ、なんとか返事をもらっていた。特に、私が高校生になってから自分もバイトをしはじめたから「忙しかった?」とか「大変だった?」と無視されても返事する元気がないのはそのせいだよね、という気持ちで聞いていた。こうして文にすると惨めな気持ちで嫌になる。
やっと返ってきた「ただいま」や「おかえり」は、低く、嫌々言わされているような、不機嫌な「お前には言いたくないのに」と言わんばかりの言い方だった。
姉や、父がいた頃はもう少し家族らしかったと思う。
私には家族としての役割や立場を放棄したいのだろうと、今は思うようになってしまった。

私には姉がいる。家族の太陽みたいな存在で、母も父も私も姉のことが大好きだった。
その姉に、今年の5月に会って、今まで話していなかった(でも知っていると思っていた)母との不仲を洗いざらい話した。
姉は幼い頃から「この家はおかしい」と悟って、父や母に甘えるのがうまく、意図的に操っていた(甘えることで役割を全うさせて、自分に不機嫌が向かないようにしていた)らしい。
「ほら、ウチって母もだけど父も変じゃん。家族らしくなかったじゃん。だからさぁ、私が可愛くて天真爛漫な娘を演じて、2人に親の役割させてあげてたんだよね。」と言っていて、愛玩子的役割をしていたことを話していた。
「そのおかげで私は可愛がられてなんでも叶ってさ、社会に出てからも自分が世界の中心だと思ってたからそれで私は苦労したわけだけど!あんたは家の中でそんな事になってたんだね。私はあのまま家にいたら、母みたいになってたかもね。こわー。」とも言っていた。

愛玩子と搾取子それぞれで苦労のベクトルが違うのだけど、互いに苦労しているのだと思ったのと、姉が本当に母の裏の顔を知らないこと、おそらくは姉への甘やかしの反動のようなものが私に来ていたのではとすこし腑に落ちた。たぶん、もともと人に対する興味関心が一切ない人が「1人の娘」を愛することはできたけど、もう1人はキャパオーバーだったんじゃないかと思う。その1人の娘(姉)には母なりに完璧な母でいたくて、だから姉の前では(私がいる時でも)ちゃんとした母親の役割を演じていたのではないか。
その皺寄せというか、精神的な負担のはけ口に私がいたのではないか…と思えるようになった。

父は少し変わっている。
朗らかではあるが声が大きく、勤勉で仕事熱心な人ではあるが、怒りの沸点が少し低く、カッとなるとすぐに怒鳴る。もともと大きい声なのに、怒ると本当に大きな声だった。
植物が好きな人で、私が幼い頃は、たまにハーブ園に連れて行ってくれた。出かけない日、普通の休みの日はパチンコばかり行っていた。景品を持って帰ってくることもあれば、負けた負けた!時間が無駄になった!お金もない!ああ無駄なことをした!失敗した!と大きな声で嘆いて帰ってくることもあった。晩酌して酔っ払ってまでその日のパチンコの負けを嘆くものだから「ならもうやめたら」なんて言うと怒号が飛んだ。

私はギャンブルをする人が嫌いだ。常に勝つわけでもないのに、負けたら不機嫌になって帰ってくるのが子供ながらに馬鹿みたいだと思っていた。父は毎日晩酌をした。酔っ払ってリビングの隣の仏間で雑魚寝して、大いびきをかいて寝るのが常だった。
小学5年生くらいの頃、父が単身赴任で家から離れて暮らす事になった。お父さん子だった私はとてもショックだったし、たまに帰ってきてくれても、遊んでくれずにパチンコばかりだったのも、悲しかったのを覚えている。
それでも父の名誉のために言っておくが、それでも私は父のことは好きだ。今も離れて暮らしているが、それでもたまに連絡をくれるし「帰ってきたら一緒にご飯を食べに行こう」だとか「帰ったらみんなで出かけような!」と無邪気に言う。それに耐えかねて、今年の誕生日に「父さんごめん、みんなでは無理。実はね」と話したら、親身になって聞いてくれたことも大きい。

私は、父も姉も大好きだ。多少へんなところがあっても、家族とは自分とは性質の異なるちょっと変わった人が共に暮らすことだし、みんな自分を基準として、自分が普通だと思って生きてるから、噛み合わないところがあって変わってるなぁと思えてもその違いやおかしさに愛おしさも感じる。
父も姉も、私のことを変わったやつだと思いながらも好きでいてくれてるから、私も「家族としても、人としても好きで愛おしい人たち」と思えるのだろう。
でも、母のことはどうしても苦手だ。私だけの気持ちでは、これはどうにもならなかった。


母が私といる時、だいたいは、不機嫌な時は大きな物音を立てて「はあぁーーーーあ。やーだやだ…」と大きな声でゆっくりと、誰にともなく言う。(ふたりきりの時に、私がいる時にだけやるから、私にだろう。そう思いたくはないけど、姉も、親戚も、母にそんなことをされたことがないと言って驚いていた。) 言いながら、食器をガチャガチャ大きな音を立てて洗ったり、冷蔵庫や部屋の扉をバタンと閉めたりする。
わたしが何か話しかけて同意を求めたりした時は、軽蔑するような目でじろりと見てくる。
返事は返ってこないか「なに言ってんの?」と怪訝そうに吐き捨てるか「あっそ」「ふーん…」とそっけなく返されるくらいしか記憶に残っていない。
ポジティブな記憶よりネガティブな記憶の方が残りやすいという言説をどこかで知ったが、本当にそうだと思う。母とは楽しい思い出もあったはずなのに、正直もうほとんど思い出せない。


家族以前に人として合わないなら、もうそれでいいと思う。ただ、1人でいたいなら、1人で少しゆっくりしたいと言われた方が、私は傷つかないと思う。共に居ること自体を拒否される日々だった。
居た堪れなくなって自室に引っ込んでも「ご飯よ」と呼ばれ、それでも食卓には重い重い空気と沈黙が澱んでいる。
それなら自室で食べたいが、幼い頃から自分の部屋での飲食は禁止とされてきた。

母はだいたいリビングでテレビを見ていた。趣味は特になく、料理や手芸や園芸が好きというわけでもなさそうだった。
リビングでの「不機嫌ハラスメント」は、私の覚えている範囲で(高校生くらいの頃から)10年以上続いていた。

姉が高校を卒業してからは、私と母の2人暮らしなので、毎日不意にやってくる母の不機嫌が怖かった。
不機嫌を撒き散らしてため息をついて萎縮させてくるくせに、自分のご機嫌取りを私にさせようとしてくる。
私がその場から去るとか、私が何かお菓子とかを余分に買ってきて一緒にお茶をするとかをしないと母の不機嫌はおさまらない事を私は長年の経験で知っていたし、そうしてきた。

私は常になにか食品を買うときは母の分も必ず買うことにしていた。
自分のお金で自分の好きな物を買って食べていても、自分の分がないことを察すると途端に不機嫌になったことがあったからだ。
べつに「あなたの分はありませんよー!残念でしたね!食べたい?あげませーん!」みたいな幼稚な煽りとかもしていないし、これいいでしょ?とか自慢したわけでもなく、職場の人からもらったお土産のお菓子をリビングで食べていただけだった。
母も職場で貰ってきたお菓子が自分だけの分しかないけどリビングで食べるなんてことはあったけど…私がやると駄目なんだな、というのはなんとなく悟った。


今年のはじめ、私のこころが折れた。

普段から不機嫌を撒き散らして、それで私の出方を窺う人であったから諦めていたけど、そうしても良いと思われているのがあまりに不愉快だった。
耐えきれずしょんぼりと自室に引っ込むのが常だったが、その日の私は違った。
「不機嫌で人をコントロールしようとしないで。もし何か私がしちゃったならごめんって思うけどさ、でもいつもなにも言わないで物音とか、ため息とかだけ聞こえよがしに大きくしてさ。正直不機嫌なのはわかるけどそれ以上は言わなきゃわかんないし、言いたいことあるなら言ってよ。前から思ってたけどさ、そういうの本当に嫌」と母に抗議したのだった。今年の1月の事だった。
母は「そんなことが言える"分際"なの?」と、ぼそりと、絞り出すような不機嫌な声で呟いた。私の顔も見ずに。

分際って、相手のことを軽んじているときに相手の立場をわからせるような時に吐き捨てるようなニュアンスの言葉だなぁと思ったのはよく覚えている。少なくとも、健全な親子関係では使われなさそうだ。そんな言葉を、絞り出すように、低く、吐き捨てられた。
それがとてもとても悲しくなって、そこからはあまり覚えていない。たしか無言でリビングを去って、それからはリビングとキッチンのある1階に近付かないようにしている。

今も、仕事へ出かける時以外は、私は2階の自室から出ない事にしている。食事はスーパーで何か買って、自分の部屋で食べている。
カロリーメイトとかの時もあるし、お惣菜を買うこともあるし、とにかく非加熱非調理で食べられるもので済ませている。

たまにふいに廊下で居合わせて「おはよう」だとか「おかえり」とか言っても、何も返ってこない日々。一応、仕事に出かける時の「行ってきます」帰ってきた時の「ただいま」を習慣として言ってはいる。何も返ってこない。

挨拶を返すような"分際"じゃないと思われているんだろうな、と1月にあったことが毎日のようにフラッシュバックされる。

私はいまも、母のことを好きになれない。

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