呟くのとは、ちょっと違うね。

タイムラインで、アイコンや文体の癖なんかを見て「あっ、この人」って見に行くことは、ありますか?検索をかけて見に行ったりするような人はいますか?
私には、片思いに似た気持ちで一方的に焦がれて読みに行く人たちが数人います。

彼ら(彼女ら)がそれを知っているかどうかはどうでもよくて、素敵な文を書くひと達がただ健やかに穏やかに過ごせていたらなと思いながら文字を追います。
その人たちの言葉に触れて、温かな気持ちになったり、少し勇敢な気持ちになるような呟きをする人たちです。noteをやっている人もいて、そういう人たちに憧れてnoteを始めました。

始めたのはいいのだけど、Twitterとはかなり雰囲気が違いますね。文字数制限を気にしなくて良いのはすごくストレスフリーです。
タイトルにも書いたんですけど、noteの記事って、呟くのとはちょっと違うなぁと思うんです。

呟きはタイムラインの雑踏から偶然見つけるか、目当ての単語や人なんかを検索して見に行って、サクッと短い文がいくつかあって、それを拾い読みすればいい。飽きたらホームの雑踏に戻ればいい。
けれどnoteは「この人を知りたい」という気持ちがよほど強くないと、最後まで読まないと思うんです。誰かとお茶をするような感覚に似てるなぁと思います。

好ましいと思える人や似ているなと思った人の身の回りに起きたこと、考えたことなんかを前のめりで聞いてしまう人には、こういう媒体は天国だと思います。
すくなくとも私は、好きな人のそういうツイートを舐めるように見る人種です。ひどい時は読み込み不能になるまでツイートを遡ります。
「それなら読む専のアカウントで良いじゃないか」と思うのですが、誰かのヒマ潰しとして、私の些末な文を読んで微笑んでくれてたらちょっと嬉しいなと欲が出たので、せっかくなら書いてみようじゃないかと思ったわけです。
……いま、どなたか物好きな活字好きな人が読んでくれているといいなと思いながら打っています。

残りの文字数を意識せずに打てるのは、ツイートと少し感覚が違うので、ここでは気持ちが幾分のびやかでいられる気がします。
文字数の制限がないというだけで、なんでも書けるような気がしていて、感覚的には昔やっていたホームページの日記にすごく近いです。
その日の出来事よりも、それに伴って考えたことに重きを置いて日記を書くタイプなので、もしそういう「考えたこと」の記事を書いたとして、同じ気持ちでいる人がいたら、ハートのボタンを押してくれたら嬉しいなと思っています。

それでは、よろしく。また何か書きますね。

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