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写真って、つくづくコミュニケーションだ

写真を撮っているときって、もちろん私が撮っているんだけど、撮らされている感覚にもなる。(写真学校では、モデルに撮らされるな!自分が撮れ!と言われたけど、それとはまた別の感覚。)

その人が発する雰囲気を受けて、私は似合いそうな背景に誘導する。
ポージングの指示をする。

私が声をかけた方がいいのか、どんな言葉をかけるのか、黙って待つのか。

相手の感情の揺れも伝わる。
それを放っておいて撮影するのがいいのか。処理してあげるのがいいのか。

全て相手から発せられる雰囲気によって、私は動く。

だから、ある意味動かされてもいる。
撮らされていると感じる、というのはそういうこと。
突然、この人にはこれ!とアイディアが湧く。

つくづくコミュニケーションだなあと思うのです。

きっと、相手とどんなコミュニケーションができるのかは、撮る側の器の大きさによるのだろうし、相手の「胸を借りる」ことだってあると思う。おしゃべりするのと一緒。

だからって、萎縮する必要はないんだって、分かってきた。楽しい私だけを出して、楽しい写真だけを撮ればいいわけでもない。私はわたしのままさらけ出したら、きっと相手も開いてくれる。

その時、その瞬間にしかできないコミュニケーション。なのに、形に残すことができる奇跡。だから、なんだか切なくて大切だ。



このnoteは、何取り柄もなく平凡なOLだった私が「自分らしく生きたい!」と思い、自分の心にフィットする生き方を模索し続けている、日々の記録です。女性ならではのライフステージや環境の変化にぐらぐら振り回されてしまうのではなく、自分の心の声に従って自由自在に働きかたや暮らしを調整しながら生きたいと思っています。今では、大好きな写真を撮ったり文章を書いたりして、私にとっての”ちょうどいい”を大切に暮らしています。

webマガジンや雑誌などに撮影&執筆をしています。
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清水美由紀 portfolio site
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