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踊り場から見る景色

光が綺麗だった日の写真。
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最近、ひとつの段階を終えた感が強い。
これまで10年くらい無我夢中で手探りで進んできたことが、なんとなく形になってきて、生まれてからこれまでに心が反応してきたことのひとつは、点と点が線につながって、誰かに聞かれたらある程度答えられるようにもなってきた。
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そう、今いるのは、階段の踊り場。
小さなスケールでの踊り場は今までだって感じたことがあるけど、今回のは違う。
心穏やかで、不自由もなく、満たされている。
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人は不足を補うために、そこに光を見出して生きるらしいと、友達が教えてくれた。恋い焦がれるもの、それは、たぶん本当に、不足なのかもしれない。不足を嘆くとき、人はそこに留まり、不幸を感じるけれど、不足のピースを求めて旅をして、本来の形を取り戻していくその過程には、生きている実感がある。
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その道を邁進して、不足を埋めた時、それは満たされて踊り場にたどり着き、また別の生きがいを求めて次の階段を登り、自分の中にある大切なもののひとつをまた、線としてつなげていくのかもしれない。
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使命、と聞く時、それはひとつしかないと思いがちだけど、きっと、ひとつの使命が(それは直接的に誰かの役に立つようなものでなくてもいい。自分にとっての生きがいに純度高く生きられたら、誰かを間接的にインスパイアしていることもある。それにそのテーマは大きくてひとつだけの人、小さくてたくさんある人がいるのかもしれない)自分の尺度である程度達成されたとき、自分の中での納得感が得られたとき、また別の使命が「次はこっちだよ」とささやき、光る。「はあ、ついにそっちかあ」と身を委ねることしかないだろうことを感じる。
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ほんの少し、終わりも感じながらこの場で踊る今。
そして、次の展開がいつ訪れるのだろうと、怖いような楽しみなような感じ。
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そんなわけで、Instagram講座も、最後の予感しかない。
この機会にご一緒してくれる方、ありがとう。
今日中だけ受け付けますので、興味ある方はぜひ来てね。
Instagramに書かないようなことをお伝えしています。

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