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大切にされてる感覚

友だちのまきちゃんが、私の仕事とその先にあるものについて、こんなことを言ってくれました。

みゆきさんにとっては好きなことの表現の場なんだろうけど、受け取る相手にとっては大切にされている感覚があって、互いのしあわせに繋がるんだろうね。

こうやって言ってもらってから、「大切にされている感覚」という言葉が頭から離れなくなりました。

私は、撮影するのも、カリグラフィーを描くのも、やりたいからやってます。
そのとき、自然と、相手のことを考えてはいるんですよね。それは、相手のしあわせを祈るような気持ち。そういうものが伝わっているならとても嬉しいなと思います。

逆に、自分がなにかにお金を払ったとき、大切にされてる感覚って感じる場面ってどんなときだろう、そう考えてしまいました。

思い出せるのは、常連になったお店で、「いつもありがとうございます」って言ってもらったとき。
旅先で入ったお店で、おばあちゃんたちが、わちゃわちゃ動き回る娘を微笑ましく見守ってくれたとき。

昨日ははじめてのお店にいったけれど、とっても自分を大切にされた感覚を味わうことができました。
それは、空間、音、お料理、お店の方の雰囲気、そういうものから感じています。

大切にされた、と私が感じるとき、そこには一対一の交流がある。
一対不特定多数の接客だなあと感じるものではなくて。
私が、私として認識されたと思えたとき、とも言えます。

人と人が、ここで会って、言葉でも笑顔でも、なにかしらの関心や親密さみたいなものを交換する。すると、心地よさやあたたかさを感じて、それが大切にされた感覚につながるのかなあと。

大切にされた感覚を得ることって、自分が自分を大切にするために時間をくだいた、その先にあるのかもしれない。

まきちゃんは、こう続けてくれました。

スキを仕事にするの先に、ポテンシャルを活かせることとか効率の良さとかがあると思うんだけど、最終的には相手を大切にすることができるっていうのがあるなぁって。新たな気づきよ。

最終的には相手を大切にすることができる。
じーん。

誰かに差し出すことのできる何か。
できる限り、そこに心をのせて。
そうやって、これからもやっていきたい。

私の向かってる方向、いい感じよ!って思えるような、うれしいメッセージだったのでした。


ちなみに。まきちゃんとは、私が独立したばかりの頃に出会い、何の実績もなかった私の写真を気に入ってくれて、仕事を紹介してくれたり、ぼんやり形にならない想いやアイデアに言葉や形をつけるのを助けてもらったり、応援してもらったり、協力してもらったり、それこそもういつも大切にしてもらってる感覚しか感じないひと。繊細な感受性をもって、目の前のことに真摯に丁寧に向き合うひと。だからいつも、まきちゃんのこと、すっごく信頼してる。こういう友だちがいて、私の仕事や人生を楽しみにしてくれたり、ただただ応援してくれること、本当に私はしあわせなんだなあと思う。

まきちゃんのウェブサイト ぐるり舎


▶︎Instagram やってます。
いちばんマメに発信してます笑



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