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欲しいものはデカンタワイン

サイゼリアで喜ぶ女が是が非かというのがまた話題になっているらしいですね。
もう何度目かと思いますが、イタリアンかつファミレスという立ち位置が人を惑わせるのでしょう、これがバーミヤンではやはりダメなのよ。中華料理は美味しいけれども、そこそこオシャレな食事の定番「イタリアン」というある種の呪いを課せられたサイゼリアだからこそ、デートという特殊な状況下への問題提起たり得るのでしょう。

などと真面目なことを語っても仕方なく、もちろんサイゼリアはいつ行っても美味しいし、そんなことも語り尽くされているでしょうが、要は、好きな人とならどこに行ったって楽しいんだから。

きっとサイゼリアで喜ぶ彼女が欲しいと盛り上がる男性はサイゼリアに行きたいわけではないのでしょう。
サイゼリア「でも」という言い方は本当に失礼ですが、つまり、自分と過ごせるならどこでも喜んでくれる女性が欲しい、ということなわけで、で、サイゼリア彼女に怒る女性はつまり、その欲求を感じ取って「なんも努力しないで全面肯定してくれる女が現れるわけねーだろ」という苛立ちを覚えてしまうということですが、そしてその努力のバロメータとしてわかりやすいのが金額、食事の値段ということなのね。
まあ願いくらいは好きに持たせろよ!と思いますし、放っておいてやりゃいいじゃねーかという前提でヤボなことをいいますが、ぶっちゃけ、金すら使わずに心底愛されるのって大変よね。
そんな魅力を生まれ持っていなければそれは血の滲むような努力で手に入れるしかないわけで、お金以外の魅力を愛しているからこそ、サイゼリア彼女はミラノ風ドリアを頬張りながら微笑んでくれる。そんなもん、金で笑って貰った方が百倍は簡単ですわ。あなたのことを何があっても愛してる、あなたにそれだけの魅力があるかぎり。と無償の愛を差し出す女よりも、ウニとカラスミのパスタでも食わせて美味しいと笑ってくれる彼女の方が、たぶんサイゼリア女よりよほど素直で優しい。目に見える努力を評価してくれるんだから。

とまあ、これも語り尽くされたことでしたが。

ちなみに私はまごうことなきサイゼリア女です。
好きな人にならどこに連れていかれようと楽しいし、なんなら吉牛もホテルも割り勘します。
そのかわりめちゃくちゃに愛が重い43歳バツ2官能小説家。
自分で書いててもちょっと怖いですね。
愛する人よ、私とサイゼリアに行きましょう。


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