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スタバの新作フラペチーノを飲むべき日は、人生で今日しかない。

スタバの新作フラペチーノはいつだって、いつの間にか終わってしまう。

もちろん、それが期間限定の販売であることはわかっている。「期間中いつか飲めればいいや」と思い、発売から少し経って店舗に行くと、お目当てのフラペチーノの写真には大抵《SOLD OUT》のシールが貼られている。

そして「あぁ、またか…」と思いながら、やらかしたときにだけ出会うコーヒー&クリームフラペチーノを飲む。これもおいしいし好きな商品だ。

だけど、今日のわたしが飲みたかったのは、キラキラとしたビジュアルで大きく描かれている、あの新作のフラペチーノだった。

わたしはこのミスを、人生で何回してきたのだろう。

発売前に告知を見て「新作のフラペチーノはおいしそうだから、絶対に飲みたい!」だなんて意気込んでおきながら、どうして発売してすぐに行かなかったのか。

別に、発売日の朝から駆け込む必要はない。発売日の次の日にだって売っている。そのまた次の日にも、まだ売っている。

でも、期間限定のフラペチーノはいつだって、いつの間にか《SOLD OUT》なのだ。

いつかの先に、今日のわたしはもういない

こうしてわたしは「新作フラペチーノを飲む」というほんの小さな野望すら叶えられないまま、次の季節を迎えてしまう。

こんなことすらロクに叶えられない自分なのだという、小さなガッカリ感をひとつ心の中に伴って。

人生の残量は、毎日確実に減っていく。それなのに「別に今日じゃなくてもいいけど、いつかやりたいこと」は、どんどん増えていく。

  • いつか読みたいと積み上がっている本

  • いつか行きたいと食べログに保存してあるお店

  • いつかおろそうと思っている新しい服

  • いつか書こうと下書きにしているnote

  • いつか勇気を出して誘おうと思っているあの人

どれも一つひとつは小さなことで、今日やろうと思えば本来できる。でも必ずしも今日じゃなくてもいい。明日でもいいし、次の休みでもいい。

だけど、わたしたちは見落としている。

季節が巡っていくように、今もっている欲求や興味だって本当は期間限定なのだ。

今日興味があることを、一年後も好きかというと必ずしもそうではない。

  • いつか読みたい本は、買ったときほどのワクワク感はないかもしれない

  • いつか行きたい店は、ブームが去って潰れているかもしれない

  • いつか着たい服は、その頃の顔つきにはしっくりこないかもしれない

  • いつか書こうと思っていたことは、書くほどの熱量を失っているかもしれない

  • いつか出るはずの勇気は出ないまま、あの人には恋人ができてしまうかもしれない

週末の仕事帰りに飲もうとワクワクしていたフラペチーノですら、いざその日の夜になると「今そんな気分じゃない」かもしれない。

たった数日、数時間でも、目に見えないレベルでわたしたちは少しずつ変化している。そしてわたし自身だけでなく、周りのあらゆる物事もまた、変化し続けていることを忘れてはならない。

今日じゃなくてもいいことを、わざわざ今日叶える癖をつける

そうやって先延ばしにしているうちに賞味期限を迎えた欲求は、当然叶える気にならない。

期間限定のフラペチーノのように、強制的に「時間切れ」となり叶えられなくなることもあるだろう。

当初「叶えたかったこと」ゾーンにストックされていた願いは、いつの間にか「叶わなかったこと」ゾーンに移動して、人生にどんどん積み上がっていく。

そうならないためには、今日じゃなくてもいいことを今日わざわざやるしかないと思うのだ。

わたしは昨日、スタバの新作「メルティホワイトピスタチオフラペチーノ」を飲んだ。別に昨日じゃなくてもよかった。今週の水曜に発売だったので、今日もまだ売っている。

だけど昨日のわたしは、積読タワーにあった本をバッグに入れ、最寄りのスタバではなく、わざわざロケーションのよい初めて行くスタバまで出かけて念願の新作フラペチーノを飲んだ。

ウーバーイーツにもあるので、家から一歩も出ずに飲むこともできた。だけどわたしは「楽しみにしていた新作をフラペチーノを飲むという儀式」として、わざわざ素敵な時間にしたかった。

明日でもできることほど、それくらい「わざわざ」やらないと今日叶えることはできないのだ。

そうしてようやく口にできた新作フラペチーノは、想像していたよりもずっとピスタチオ感が強くて、わたしの期待を裏切らなかった。

ホワイトチョコが大好きなわたしにとっては、たっぷりと入ったパリパリのホワイトチョコも最高で、上のホイップは「メリークリーム」という普段とは違うものが使われており、まったりとした味わいだった。

「あのフラペチーノ、期間中にまた飲みたいな」と思いながら歩いた寒い帰り道は夕日が綺麗で、すぐそばでおじさんが大きなしゃぼん玉を作っていた。

夕焼けとしゃぼん玉も、おじさんとしゃぼん玉も、人生で初めて見るコラボレーションだった。

スタバの最寄り駅には、キラキラの大きなクリスマスツリーが出ていた。わたしの住む街では、こんなツリーを見ることはできない。

みんなが同じようにツリーにスマホを向けて撮影している姿を見て、なんかいいな、と思った。

わざわざ動いた先には、こうした思いがけない素敵な体験や「おまけ」があったりするものだ。

願望が叶ったそれ自体が嬉しいのはもちろん、何より自分の中の小さな願望を蔑ろにしなかった「自己への信頼感」というおまけが一番大きい。

だから、新作のフラペチーノは今日すぐに飲もう。

これくらいのサイズ感の願いごとをさっさと叶える「癖」をつけなければ、大きな願いごとなんて、叶えられるわけがないのだから。

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