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誕生日の君へ。プレゼントは私の言葉

8月15日は夫の誕生日だった。
ヘブライ暦では、
1週間後のアヴ月の27日なので
本日、シナゴーグ(ユダヤ教会)で、お祝いをした。

ユダヤ教では、
誕生日にはシナゴーグに寄付をして、
食事を振る舞い、
コミュニティに来た皆と共に
祝ってもらう。

家族がお祝いの言葉を言うのが普通なので
私は、スピーチを考え始めた。


出会った時、彼は、25歳だった。
あれから44回、共に歳を重ねた。

日本を出た時、私はハタチだったので
親とともに暮らした年数の
2倍以上、夫と共に居る事になる。

夫への感謝の気持ちや
夫のステキなところを
皆の前で話そうと思い、
簡単な原稿を書き始めるが、
これが難しい。


永年、連れ添ってきて、
今では、空気のような存在になっている夫。

夫の良いところも、
感謝の気持も、
無限にある。

だからこそ、簡潔に分かりやすく
皆の前で話すのは難しい。

無限で抽象的な気持ちを、
有限な「言葉」で伝えるという作業は、
まるで、霧を集めて、
一杯のバケツに納める様な作業だ。

霧を水に圧縮する、
つまり
混沌とした気持ちを、コトバや声にして、
一定の時間で伝えるという
「圧縮」の作業には
大きな負荷がかかる。

そして、米国のスピーチは、
ユーモアを交えるのが普通だ。

私は、
夫への気持ちを、フリーライティングで書き、
並べ替え、
ユーモアと聖書の学びを加え、
スピーチを書いた。

何回か読み返し、
要点を箇条書きにした。


本番では、メモを見る余裕も無かった。


100人くらいの
批判好きなユダヤ人を前にして
完全なアドリブで、
夫について、面白おかしく
感謝の気持、という、
言葉のプレゼントを渡した。

原稿には書かなかった事を言い、
原稿の大切な部分を言い忘れた。


それでも、私は、即興にこだわった。
原稿を完璧に読む、
という形には、したくなかった、

心は伝わった。

皆の笑い声と、拍手は
私の言葉と共に、
夫への
ステキな贈り物になったと思う。


お誕生日おめでとう。

これからもよろしく!





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