見出し画像

現実という迷宮

先日、公園で迷子になった。

私の住むミズーリ州セントルイスには、フォーレストパークという大きな公園がある。大きさは、ニューヨークのセントラル・パークより大きい、というから、かなりの大きさだ。上の写真は公園のほんの一部だ。

フォーレストパーク内には、野外劇場、美術館、歴史博物館、植物園、動物園などが点在し、文化と自然が融合した、セントルイスの住人の憩いの場所となっている。


数日前から、私は、引きこもっていた自宅を飛び出し、歩き始めていた。

フォーレストパークは散歩には格好の場所だ。


私は、美術館近辺の池の周りを歩くのが好きだ。

しかし、公園はより遠くまで広がっていた。


その日、私は、違った景色を求めて、公園の内部に進んで行った。


池の周りを歩いていれば、必ず元の場所に戻る。

しかし、公園の内部は、私にとって、未知の世界だった。

池は湖に変わり、大小の橋を渡る。鴨の群れが泳ぎ、キジが目の前を通り過ぎる。都会生まれの私は好奇心の塊となり、更に進む。

しばらくして、「動物園まで徒歩4分」という道標を見てしまう。

4分で動物園まで行けるのなら、行ってみようと即決。私の中のインナーチャイルドが決断していたのだろうか、帰り道の事など、どうでも良かった。


86エーカーに500種類以上の動物が棲むセントルイス動物園は、全米第六位の規模だ。しかし、すでに6000歩以上歩いていた私は、たった一種類の動物を見て、車のある美術館に戻る決意をする。

疲れていた。

美術館の、方向は分かっていた。

しかし、公園内の道はくねくねと曲がり、行きたい方向に続く道は、見つからなかった。

とにかく、歩き続けた。

そして、私は、人も道も無い、未開拓地のような場所を彷徨っていた。WiFi は繋がらず、私は、方向感覚を失っていた。

やっと、公園の管理人のような人を見つけ、美術館の、正しい位置を教えてもらう。


未開拓地を抜け、見慣れた風景が広がった。


私は、動物園に、戻っていた。
狐につままれたような気持ちだった。


そこから美術館には、3分ほどで着いた。


私は、動物園から、全く反対方向を、歩き回っていた、とその時、気付いた。


クタクタになり、
私は、目標の一日一万歩を達成した。


家に閉じこもっていたら、迷子にはならない。


毎朝、モーニング·ページという、フリーライティングをしているが、こちらは、自分の心という迷路を彷徨っている感じだ。


毎日のピアノ練習も、確固とした目的も、道標も無く、自分の創造力という迷宮で、完全に迷子になる行為に思える。


現実を、生きるとは、
私にとって、
迷宮を自分の足で歩く事だ。


今日は、
どんな未知と遭遇するのだろうか?


今日こそは、
生きる意味
弾く意味を
見出だせるかもしれない。


そんな期待をしながら
今日も、
私は、
生きる。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?