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風の足跡 第一部 4📗部屋・・・久光良一詩集 風の足跡 より

2005年4月に発行された「久光良一詩集 風の足跡」より
第一部 生きてきた日々(19篇) 4 部屋

04
部屋  久光良一

ぼくの部屋とおもって入ると
それはぼくの部屋ではなかった
虫のようにもみつぶされた吸殻や
脱ぎすてられた失心したパジャマ―――
何もかも今朝のままだけど
その部屋には知らない人が住んでいた。

ぼくはドアからほうり出されて
となりの部屋をノックした
するとドアのなかで誰かがどなった。
あちこちのドアから知らない顔が
提灯のようにのぞいては消え
あぶらぎった夜のにおいを
むうんとただよわせた。
だが
誰もぼくを知らなかった。

ぼくはこづかれけとばされて
夜の街になげだされた。
たしかに今朝そこから出ていった
アパートの前で
ぼくはころがったまま考えていた。

あれはぼくの部屋だ。
たしかにぼくの部屋だ。
闇がぼくを流木のようにながした
どこか知らない窓の外を
ぼくはながされていった。
部屋が見えた。
鏡がありぼくの妻がいた。
そのどこかとんでもない遠い部屋で
妻は待ちくたびれて眠っていた。

====

***

08
  部屋(へや)

ぼくの部屋(へや)とおもって入(はい)ると(')

それはぼくの部屋(へや)ではなかった’

虫(むし)のようにもみつぶされた吸殻(すいがら)や(')

脱(ぬ)ぎすてられた失心(しっしん)したパジャマ’―――

何(なに)もかも(')今朝(けさ)のままだけど(')

その部屋(へや)には(')知(し)らない人(ひと)が住(す)んでいた。’



ぼくは(')ドアからほうり出(だ)されて(')

となりの部屋(へや)をノックした’

すると(')ドアのなかで誰(だれ)かがどなった。’

あちこちのドアから知(し)らない顔(かお)が(')

提灯(ちょうちん)のようにのぞいては消(き)え’

あぶらぎった夜(よる)のにおいを(')

むうんとただよわせた。’

だが(')

誰(だれ)も(')ぼくを知(し)らなかった。’



ぼくはこづかれ(')けとばされて(')

夜(よる)の街(まち)になげだされた。’

たしかに今朝(けさ)そこから出(で)ていった(')

アパートの前(まえ)で(')

ぼくはころがったまま考(かんが)えていた。’



あれはぼくの部屋(へや)だ。’

たしかにぼくの部屋(へや)だ。’



闇(やみ)が(')ぼくを流木(りゅうぼく)のようにながした’

どこか知(し)らない窓(まど)の外(そと)を(')

ぼくはながされていった。’

部屋(へや)が見(み)えた。’

鏡(かがみ)があり(')ぼくの妻(つま)がいた。’

その(')どこかとんでもない遠(とお)い部屋(へや)で(')

妻(つま)は待(ま)ちくたびれて(')眠(ねむ)っていた。


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この詩は、自分というものは、はたして確固たるものなの
だろうか?と疑う気持から生まれたもので、もしかすると
明日自分というものがいなくなっても、この世はなんの変
わりもなく動いているのではないかという、不安な感じを
表現したものです。


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三連目、五行目の、
> 提灯のようにのぞいては消え
私、ハロウィーンの「カボチャ提灯」を思ってしまうのですが、
いけませんでしょうか。(笑)

ハロウィンの「かぼちゃ提灯」のような感じと受け取って
いただいて結構ですよ。私のイメ~ジもそんな感じです。(笑)


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終わりから三行目の、
> 鏡がありぼくの妻がいた。
とは、
鏡があり、その中にぼくの妻がいた。(妻が鏡にうつっている
のが窓からみえた。)ということでしょうか?

鏡に妻が映っているということまでは、特に意識していま
せんが、鏡のある部屋で寝ているわけですから、映っては
いるということになるでしょうね。


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>六連目の「鏡」という言葉には、この詩の中で何か役割がありますか?

自分の存在が虚像に過ぎないのではないかという疑問の象徴として
自分の代わりに鏡をおいてみました。

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