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夏の思い出:8月某日、成田線我孫子支線にて

「今日も暑いねぇ」
不意に顔の真横で声がして、いい気持ちでうとうとしていた私の両肩が小さく跳ねた。

もう20年以上前の8月某日。帰省のために我孫子から成田へ向かう電車に乗っていた私に、突然話しかけてきたのは「担ぎ屋」のお婆ちゃんだった。自身の背丈ほどもあろうかという大きな荷物と並んで座り、ニコニコと人懐っこい笑顔を浮かべている。

ここでいう「担ぎ屋」とは、千葉県や茨城県など東京近郊から野菜を担いで電車に乗り、都心へ運んで売り歩く行商人を指す。私が最も電車を利用していた高校生の頃は、まだ現役の担ぎ屋さんが多くいた。早朝から通勤客に混じって電車に乗り、上野方面へ向かう行商のおばちゃんをよく見かけたものだ。

背負い方にコツがあるのか、どのおばちゃんもとんでもない大荷物を担いで電車に乗っていた
※生成AIによるイメージ画

行商のおばちゃんたちは、かすりのモンペに姉さんかぶり、黒い布で包んだ大きなカゴを背負って歩く姿から、カラス部隊と呼ばれました。

広報なりた 平成14年6月15日号:「元祖産地直送 カゴで生活を支えた女性たち」

けだるい空気が漂う夏の午後の成田線。朗らかな調子で私に声をかけてくれたのも、そんな行商帰りのお婆ちゃんだった。

何を話したのか、どうにも昔のことで思い出せないが、人見知りの私のことだ。きっと、精一杯の愛想笑いで相づちを打つのが関の山だっただろうと容易に想像がつく。発した言葉もせいぜいが本当に暑いですねとか、荷物大変そうですねとか、そんなものだ。

お婆ちゃんの顔のディテールももはや記憶の彼方だが、一言だけ、はっきりと覚えている言葉がある。

「今日は隅田川だから、早く帰ってテレビ見なくちゃ」

お婆ちゃんの顔は、ワクワクと輝いている。お婆ちゃんの言う隅田川とは、隅田川花火大会のことだ。朝が早い担ぎ屋さんは、まだ陽の高いうちに帰宅の途につく。日が暮れてから始まる隅田川花火大会の開始時間に間に合わないわけがない。そう思いつつ、私は大きく微笑んで、のんびりと答えた。

「そうですね、急がなくっちゃ」と。

お婆ちゃんより先に電車を降りたあと、妙に気分が浮き立っていたのも覚えている。

きっとあのお婆ちゃんは、帰ったらトコトコとお夕飯の支度をしただろう。きゅうりの浅漬けや、野菜の煮付けなんかを並べて、麦茶でも飲みながらテレビの中で咲く花火を堪能したのだろう。夏の夜風に漂う、蚊取り線香の匂いに包まれながら。

これこそまさに、今でいう「丁寧な暮らし」というやつではないだろうか。

毎年夏がくると思い出す、なんてことのない一コマ。今年は放映時間に間に合っただろうかと、つい考えてしまうのだ。もう20年以上も前のことなのだけど。

いつか思い出すこともなくなる日のために、こうしてここに書きとめておく。

成田線我孫子支線沿線の駅に今も残る行商人のための「行商台」
これは安食駅に現存するもの。枕木で作られている
ベンチとして腰掛けるには少々高さのあるこの台は、
担ぎ屋さんが電車を待つ間に荷物を置くための台として使われた

※この記事は、以前どこかで書いたものに加筆・修正したものです。


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