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ryoの5月3日 4月某日について語る

2020.5.3. ryo / HOLLOWGRAM, TAG, DALLE, KEEL

4月に叔母が亡くなったんです。病気を治療してたとかでもなく、突然。叔母さんの長男、僕の従兄弟が喪主になったんですけど、コロナのことがあって、一日経っても二日経っても葬儀が決まらなくて。結局、葬儀はしたんですけど、本当に肉親だけでという形になりました。

誰かが亡くなったときって、普通だったら葬儀があって、久しぶりに親族が集まって故人を偲ぶ時間があるじゃないですか。それがまるっきりなかったんですね。こういう状況なのでと言って、久しぶりに会った従兄弟とかも、2メートル以上近寄らないようにソーシャルディスタンスを守るみたいな感じでした。

すると、それから一日、二日経ってみても、いなくなった実感がないんですよね。儀式的なものもなく、ただポツッと自分の歴史のここから先にその人はいないんだっていう事実があるだけで。

もともと僕は、“死”をテーマにした作品を多く作っているんですけど、それは僕が音楽を始めた頃、世の中の流行歌はラブソングとか応援歌みたいなのが多かったからなんですね。“死”についてとか、人はなんで生まれてなんで死ぬのかというようなことが、自分の手元に届く機会が少なかったから惹かれていったんです。

“死”に光を当てると影ができるじゃないですか。“死”をテーマに用いることで、逆説的な意味で生があるということが出せるから、それをもの作りの根幹に置いていました。それが今回の出来事で、すごく考えさせられたというか、別にそこにフォーカスする必要はないんじゃないかという考えが、ぼやっと出てきたんです。まだ、何が変わったとか、自分の意識がこうなったとはっきり言えるのではないですけど。

ただ、次に作品を作るときは、今経験していることは意識して出さなくても、その影響は出ると思いますよ。滲み出るのか、透けて出るのかわからないですけど。これまでは手に取れないものに憧れを持ってもの作りをするスタンスだったんですけど、より身近な大事な時間、たとえば親族とお別れをするひとときとか、そういったものに比重が変わってくるのかなという感じはあります。

コロナでいろいろなことが一気に変わって、それによってみんなが大変な思いをしてるわけですよね。僕に関しては、この自粛の期間と、親族が亡くなったこと、加えて言えば弟が一生治らない難病になったという電話がついこの間あったりもしたし。もともとぼんやりと見てた“死”というものの見え方がちょっと変わったなって、ふと思ったことが4月にありました。

編集長の日記
緊急事態宣言が5月いっぱいまで延びるようです。正直なところ、5月6日で終わる気はしていませんでしたが、事実となるとまた話は別。さすがにちょっとまいりますね。
いつまで続けるか深く考えず見切り発車したこの企画も、もう少し長い目で考える必要がありそうです。

インタビューという形を通して、アーティストがSNSなどで直接届ける言葉には乗らない“何か”を届けられたらと、コツコツがんばっています。その“何か”を受け取れた、と感じてくださったらぜひサポートをお願いします。大きな大きな励みになります。