自転車ソロキャンとトランス女性化
なぜにエッセイスト?
プロフィールにはエッセイストなどと書いていますが、職業は「ビジネスにおけるITの応用」をメインに書いているフリーライターで、実はエッセイでお金をいただいたことはありません。
では、なぜエッセイストなどと名乗っているかと言うと、これから始めたいなと思っているだけなのです。
だけどなぜエッセイ?
トヨタのなぜなぜ分析みたいで恐縮ですが、田中泰延さんという元電通のコピーライター&CMプランナーというライターさんがいらっしゃるんです。彼の『読みたいことを、書けばいい』というご著書を読んだら、”ネットで読まれている記事の9割は「随筆」”とあったんです。
心引かれる言葉ではないですか。さすがはコピーライターさんです。
じゃあ「随筆」ってどんな文章なの? 田中さんの定義がもうかっこいいの!
「事象と心象が交わるところに生まれる文章」
要するに見聞きしたことに対して思ったことを書けばいいということなんですけれど、「これだわ!」って思ったんです。
日本語の随筆とフランス語のエッセイがピッタリ重なるかというと、細かく言うと違うっぽいんですけど、でも随筆家と名乗るよりはエッセイストのほうがなんかライトでいいなと思ったんですね。
いいかげんですけど、わたし自身、わりといいかげんな人生を送ってきたので、らしくていいかなという気がします。
どんなエッセイを書こうと思ってるのか?
さてエッセイストを名乗ってから数カ月経ってしまったのですが、そろそろ始めないと始まりませんね、ということで重い腰を上げたのでした。
本当は新年から始めようと思ったのですが、1月はほとんど飲んで暮らしていたのです。2月になったら始めようと思ったのですが、1日が週の変わり目でなかったので、週明けからにしようと。
さすがにいいかげんにしろということで、本日エッセイスト・デビューとなった次第です。
で、どんなことを主に書こうと思っているかというと、そんだけお酒ばかり飲んでいるのだから、お酒の話だろうと思うかもしれません。しかし、そうではないのです。
いや。お酒の話も書くかもしれませんが、今書こうと思っているのは、自転車とキャンプの話です。サイクリングとキャンプが趣味でして、それが交わるところとして、自転車ソロキャンというのによく行くんですね。
ただ自転車ソロキャンだけだとちょっと狭めなので、自転車とキャンプの両方をテーマとしたエッセイを主に書きたいと考えています。
でも、そんな人たくさんいるじゃない? マーケティング(急に生々しい言葉が出てきてすみません)的には、何か特徴を出さないといけないんじゃない? ――とのご指摘があるかもしれません。
まあ同じジャンルで書く人が五万といても、自分だけの体験と思考と感情を書けばいいわけですが、しかし特徴があるに越したことはないかもしれません。
何を隠そう(というかプロフィールにも書いてますが)わたくしトランス女性なんです。しかも60歳の。
60歳のトランス女性で趣味が自転車ソロキャンなんてあまりいないと思うんですね。いや、いたらコメントください。お友だちになって、一緒に自転車ソロキャンに行きましょう! 遠隔地なら輪行していきますので、ぜひ!
なんてお誘いしてもたぶんコメントはないと思うんですよ(いや、でも、本当にコメントがあったらうれしいです)。
まとめますと、「高齢トランス女性による自転車とキャンプのエッセイ」というのがわたしの書きたいものだということです。
それにしたってなにゆえに???
高齢トランス女性による自転車とキャンプって、年寄りの冷や水もいいところじゃないの?――とみなさん、お思いでしょう。
わたしもそう思います。
結論を言うと、いつまでそんなことをしていられるかわからないからです。
60歳にもなるとやっぱりガタが来ます。正直、身体中が痛いです。慢性的に肩が痛いですし、その他の部位は順番にどこかが痛いという感じです。
ここまでよく生きてきたなという気持ちがある一方、いつ死んでもおかしくないな、それよりいつまで身体が動くんだろうと日々思うわけです。
だったら残りの人生を悔いなく生きたい!
実は、昔から後悔ない人生を生きたいと思ってきて、それで42歳になったばかりのときに独立し、さんざん苦しい目に遭ってきましたが、しかしそれ以来基本的に自分の選択に後悔したことはありません。
というか後悔してもしかたないと悟ったというほうがいいでしょうか。後悔したって、もう1回選択し直せることは何1つないので、前を向いて生きていこうと決心したんですね。
などと書くと、前向きだ、ポジティブだ、いっそバカポジだと思われるかもしれませんが、前を向くというのは別にポジティブでも何でもなく、基本的には不安と戦うということなのです。先が怖いから、後を見ている余裕などないというのが本当のところです。
とはいえ怖がってばかりいてもしかたありません。どうせ怖いのなら、やりたいことをやろう――要するに開き直って生きているということなのです。
だから年寄りの冷や水と言われようが、好きなことをやるんです。
自転車ソロキャンは令和になってから
ところでわたしのキャンプ歴はというと、最初は中学の校外学習でした。そこからだと通算46年ということになりますが、その後は高校のときに何回か行き、大学のときは1回だけ。ただ高校生のときにバイトして買ったキャンプ用品を一部、今でも使ってはいます。
テントやタープを買ったのは、結婚した翌年でした。夫婦でゴールデンウィークにオートキャンプに行ったのが本格的なキャンプの始まりです。そこを本格デビューとすると、今年でちょうど30年となります。まあベテランと言っていいと思います。
自転車でソロキャンに行こうと考えたのは、2019年のことでした。令和元年です。元号が変わる前に行こうとしていたのですが、4月に愛猫が病気で亡くなりまして、ちょっとキャンプどころではなかったんですね。
初自転車ソロキャンは、2019年5月10日。場所は若洲公園キャンプ場でした。サイト番号は、なんと1番!!!
昔書いたnoteを見て、思い出しました。むちゃくちゃ縁起良くないですか?
ソロキャンプはすでに流行っていたようで、平日にもかかわらずけっこうたくさんのソロキャンパーが来ていましたが、ブレイクしたのはその後だったと思います。なぜならソロキャンなんて誰も思い付いていないだろうと思い込んでいたからです。バカですね。
けっきょく、この年は勢い込んだわりには4回しかソロキャンに行きませんでした(そのうち1回は友人とダブル・ソロキャンでした)。そして2020年になるとコロナ禍となり、再開したのは2022年となったのでした。
トランス女性として生きることを決めたのも自転車ソロキャンを始めたのも根っこは同じ
思えば、2018年が1つの転機でした。
わたしが女装を始めたの小学校6年生のときでした。紆余曲折があり、途中7年間中断していた時期もありましたが、入社3年目にとあることがきっかけで再開。今の伴侶さんには交際を始めてすぐにカミングアウトして、今に至ります。
ただ女装は趣味だと言っていたんですね。心の奥底ではフルタイムで女性の格好をしていたいという気持ちはずっとあったのですが、それは無理なこととあきらめていました。だいたい身長が178cmもありますから、女性としてパスするなんて考えてもいなかったのです。
しかし自宅から着替えて、近所のお店に行くようになり、その後は電車で銀座のなじみのお店にも行くようになりました。それでジロジロ見られるわけでもなく、もちろん内心は「でかいオカマがいるなあ」と思っていた人もたくさんいたのでしょうけれど、世間の目はわりと優しい(無視していただけでしょうけど)と思ったのです。
そうこうしているうちにフルタイム女装への衝動がだんだん抑えられなくなってきたのですが、2018年に入ったころに「ジェンダー・フルイド」という概念を知ったのでした。
これは心が男性と女性の間を揺れ動くというものです。ここまでフルタイム女装に憧れているのに、けっきょく思い切れないのは男性でいたい気持ちも強いからではないか、つまりジェンダー・フルイドだからではないかと思ったんですね。
そこで自分をジェンダー・フルイドと仮定しつつ、性についてあらためて勉強し、それで知ったことを書いたブログを丸1年休まずに書いてみたのです。
その1年間は、女性としてさまざまなチャレンジをしました。
ボーリング。ママさんバレー、美容室、浴衣外出、映画鑑賞、クラシックコンサート。これらすべて生まれて初めて女性の格好で出かけたのでした。女性がボーリングにどんな格好で出かけるかなんて、改めて調べないとわからないものなんですよ。
そこに先ほども書いた愛猫の病気が重なってしまい、ミユキを出すのが少ししんどくなり、フルタイム女装、すなわちトランス女性化についてはいったん折り合いをつけることにしたのです。つまりこのときはジェンダー・フルイドとして生きていこうと決めたのでした。
そのときにタロットカードを引きました。大アルカナを3枚だけ引いて、過去・現在・未来を見るというという単純な占いをしたのです。
わたしはこのように解釈しました。
このあと、自転車ソロキャンを始めようと思い、さらに1年後に本格的にコロナ禍が始まりました。そしてわたしは一瀉千里にトランス女性への道をひた走ることになります。
トランス女性化を決心した経緯はこちらに書きました。
タロットには潜在意識が現れるとわたしは思うのですが(引いたカードというよりは解釈にです)、すでに潜在意識では決めていたんだなと改めて気づきました。
自転車ソロキャンとトランス女性化は根っこでは思い切りつながっていたこともあらためて気づきました。
いったんトランス女性化を見送ったときに自転車ソロキャンを始めることにしたが、それは一種の代償行為だったんだと思います。その後自転車ソロキャンという代償行為が難しくなった瞬間、トランス女性として一気に覚醒したのがその証拠だと思うのです。
そしてトランス女性として落ち着いて還暦を迎え、改めて自転車ソロキャンに、今度は本当の自分として取り組むことになった――キレイ過ぎる辻褄合わせですが、そういうことなのでしょう。
長々と戯れ言を書きましたが、これを書いておかないとエッセイを始められないと思ったのです。とても長い「はじめに」だと思っていただければ幸いです。お読みいただいて本当にありがとうございました。
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