双極性障害II型になって12年③ (2014年〜現在)
2014年:31歳
実家から片道三時間かけて職場に通い、何とか論文を投稿しました。
この年のこともあまり覚えていないのですが、本当にぎりぎりの結果だったと思います。
2015年:32歳
博論発表も終わり、ホッとしましたが良い調子が続くことはありませんでした。
5月に長くお世話になっていた教授から、もう勤務の更新ができないと伝えられます。覚悟していたことでした。しかし私はショックを受けました。
ここがひどく突飛なのですが、私はその職場を辞める決心をすぐにします。直ちに職探しをして、その月の終わりには面接に行っています。実家から通いやすいところを探しました。
次の職場には7月から入りました。
新しい職場のボスは非常にキビキビとした厳しい方でした。新しい職場、新しい分野、自分にとっては非常にストレスだったと思いますが、驚くことに体調はもっていました。
しかし2ヶ月ほど過ぎた頃に、3日ほど動けなくなりました。
病院に行き、また親からの指摘も受け、以前から時々スイッチが入れ替わったように元気になることを伝えました。それまでに大きな買い物もたまにしました。電子チェロや中古の車を買いました。一つのことに集中し過ぎてしまうこともありました。
環境が変わっても鬱症状が現れることや軽躁とみられる症状があったことから、診断が双極性障害二型に変わりました。
薬はラミクタール、エビリファイとなりました。
薬が変わってからはとても調子よく過ごせました。ただ、家族による生活の支えがあり、かつ将来についての悩みを抱えなかったことも好調の理由かと思います。
2016年:33歳
仕事の都合で実家から新幹線の距離に引越しとなりました。しばらくぶりの一人暮らしとなり、心機一転頑張ろうと奮闘します。
病院も紹介状を書いていただき、通いやすく雰囲気の良いところを見つけました。
しかし夏が過ぎ、秋口になると少しずつ調子が悪くなりました。
一人暮らしが余計に症状を悪化させました。鬱の波が来たかと思うと、早朝に目が覚めて朝6時から職場に行くようなこともしました。しかしそれも長くは続きません。後になって考えると、それは躁状態の症状でした。
とにかく人との関わりが少なかったです。職場は非常に静かで皆独立して黙々と研究をするところでした。また新しい土地にプライベートの知り合いはほとんどいませんでした。
1ヶ月に一度ほど全く動けなくなる日があり、その後数日を休んでから出勤し、ということが続いています。
現在:
2018年現在も、安定しているとは言えないのですが、こちらに引っ越して来てから出会った人と結婚し、支えてもらってなんとか仕事を続けています。
まとめ:
22歳から現在に至るまで、私の二十代三十代前半は病気に振り回され続けました。
自分が人生でなにをしたいのか、落ち着いて考えることはできませんでした。
ただただ鬱の波に怯えて、あるいは鬱の波に飲み込まれてじっと耐えていました。
私にも悪いところがあったかと思います。
でも、精神科医 水島広子先生の本に
「双極性障害になったことと、双極性障害の症状は、本人の責任下にはない」(『対人関係療法でなおす双極性障害』)
という言葉を見つけ、本当に慰められました。
全然完璧ではなくても、反対に全く駄目でもない、段々とそう思えるようになって来ています。
ほんのわずかでも、このノートがどなたか苦しんでいる方の助けになったら、と思います。
またこうして書き出すことで、私の心にも少し余裕ができたような気がします。