双極性障害II型になって12年①(2005〜2007年)
はじめに
私は現在35歳の女性です。生物学系の大学研究室で研究員をしています。
このnoteでは双極性障害II型になったこの12年間について振り返ろうと思います。
この病気が発症したのは、22−23歳の頃でした。
2005年:22歳
22歳当時、私は大学4年生でした。朝10時から夜中12時まで研究室で実験をする毎日です。修士課程に進むことは決まっていましたが、その先企業に就職するのか、博士課程に進学するのか、決められないでいました。
大学・修士時代に所属した研究室は、後に論文の不正が見つかり取り潰しになります。私にはとても厳しい環境でした。うまく結果が出ない、予定を考えられない、論文の内容が入ってこない、たくさんのことに焦り、泣きながら実験をしていました。
2006年:23歳
研究室に入った頃から様々な不調は出ていたのかもしれませんが、決定的だったのは修士1年の春です。高校生向けの研究室紹介イベントの予定があり、そのオーガナイズを私に任されました。私は誰かに相談して協力を仰いでやる、という発想ができませんでした。自分一人でなんでもこなさなくては、と抱え込んでしまいました。私が作ったポスターを教授に見せたところ、それではわかりづらいと一蹴されます。
ある朝、体が動かなくなりました。大学に連絡するのも心理的な抵抗が大きくて、無断で研究室を休んでしまいます。そういったことが何度か続き、教授に心療内科へ行くことを勧められました。
「うつ状態」という診断で、当時新しく出たSNRIであるトレドミンと睡眠導入剤を処方されました。研究室のスタッフの方は私の病気に対して温かくサポートしてくださったように思います。教授には一年くらい休んだら、と言われましたが、私はとても休めないような気持ちでいたため、断りました。今思うと、ここで休んで人と相談したり、進路を考え直した方が良かったように思います。うつ状態の波は頻繁に襲って来て、私はその度にひどい自己嫌悪に陥りました。友達に自分の状況や気持ちを話すことができませんでした。こんな状態になってしまい恥ずかしいという気持ちと、誰も私の話など聞きたくないだろうという消極的な思いで身動きが取れませんでした。
2007年:24歳
私は修士2年になってからも、うつ状態で休んだり復帰したりを繰り返します。何とか修士を卒業することしか考えられなくなりました。博士課程に進むという憧れはあったのですが、自分の健康や経済の状態では考えられないため、まず公務員として就職し、学費を貯めようと考えました。一般的な就職活動期間はもう終わっていました。1ヶ月勉強するための休みをもらい、実家に帰り図書館で勉強する毎日を送りました。当時はその時が唯一落ち着いて生活できた期間でした。
修士2年の夏、地方公務員の試験を受けている最中に、教授がよその大学で大学研究室助手を募集しているという知らせを持ってきます。私は実験自体はとても好きでしたので、興味があるとお答えしました。そこからはすぐに先方の教授への連絡と、面接のための準備を始めることになりました。
そして、本当に運良く大学研究室助手に採用されることになりました。
実験を続けることができる、社会人大学院生として博士号を取ることもできるかもしれない。希望に満ち溢れて、これから一層頑張っていこうと気持ちを引き締めました。
しかし、体調の良い時期は長続きしません。特に冬の間、私はひどい精神状態でした。何とか修士論文を書き、何とか卒業しました。
続きます。
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