見出し画像

奈良に行くなら[26]〜吉野神宮編

あー空が広いな〜。空、近い!
そんな印象がある吉野神宮。見出し画像は境内で見上げた空の様子です。スキッとスカッと晴れ渡る空。そらアナタが行った時のお天気がたまたま良かっただけでしょと言われれば、まぁその通りなんですが。
金峯山寺に行こうと吉野山マップを予習しながら、下千本エリアの端っこだから吉野山の麓なんだろうなと勝手に思い込んでいたこともあって、えー!山のてっぺんやん!と、際立つ空の広さに驚かされた場所でもありました。

吉野神宮は明治22年(1889年)に明治天皇によって創建。後醍醐天皇を祀っています。

近鉄吉野線、吉野神宮駅で降り。駅前の一の鳥居をくぐってからは、ひたすら長い坂道をてくてくと。てくてくてくてく…なかなかにがんばりました。きっとタクシーで行かれる方が多いのでしょうが。「徒歩20分」なら歩けるんじゃないの?と思ったのが運のツキ。途中、タクシーにすればよかった…と後悔しなくもなかったのですが、がんばって歩いたからこその爽快感!も味わえました。

坂道をせっせと登りたどり着いた二の鳥居

二の鳥居をくぐれば、もう、すぐ、です。

つーいたーー!!!

大鳥居をくぐるとそこは広々とした境内。

丈六平とも呼ばれるこの場所には元々、丈六山一之蔵王堂勝福寺という金峯山寺の一院があったそうで、

元弘の変(1333年)の折、大塔宮 護良(もりよし)親王(後醍醐天皇の皇子)が籠もる吉野山に来襲した鎌倉幕府方の二階堂道薀が占領し、本陣としたところです。

吉野ビジターズビューロー「太平記と吉野山」

とあります。

打倒・鎌倉幕府を掲げた後醍醐天皇。元弘元年(1331年)の笠置山の戦いでは幕府軍に捕えられ隠岐島に流されてしまいます。それでも倒幕を諦めなかった後醍醐天皇は、幕府から離反した新田義貞・足利高氏(のちの尊氏)らを味方につけ、この元弘の乱で鎌倉幕府を滅ぼすことに成功します。京の都に戻った後醍醐天皇は親政(天皇自身が政治を行う)の形で建武政権を興すも、元弘の変後の混乱を収拾しきれず、また足利尊氏の離反もあってわずか2年半で政権は崩壊。が、失脚させられても尚も諦めない後醍醐天皇。延元元年(1336年)都から吉野に逃れて吉野朝廷(南朝)を立ち上げ、北朝・室町幕府と対立します。これが南北朝時代の始まり。その後約60年間に渡って南北朝の抗争は続きますが、後醍醐天皇は北朝打倒が叶わぬ中、南朝成立の3年後、延元4年(1339年)に吉野行宮で崩御されます。

京都の御所へ帰還することを熱望していたであろう後醍醐天皇の心情を汲んで、社殿は京都の方角を向いて北向きに建てられているのだか。

さて、桜の名所として名高い吉野山は秋の紅葉も大変美しく、多くの観光客で賑わいますよね。

当宮は観光コースから離れており、春秋の観光シーズンも比較的静かです。

祈りの回廊

という宮司のお話もあるので、穴場かもしれませんよ。
毎度オフシーズンに訪れている私は…のんびりと静かな時間を楽しめるのはオフシーズンならではの良さかな、などと思いながら。でもやっぱりいつか桜を見に行きたいな〜と、インスタを眺めたりしつつ思うわけです。

また、吉野神宮の授与品はうさぎのおみくじをはじめ、ハート型の猪目守り、切り絵御朱印などかわいらしいものが多く。中でもこの桜玉守。素敵だと思いませんか!

御神木の桜の花びらが内包されていて、花びらの色や形がひとつひとつ違うから同じものはひとつとしてない、という…センスが光るひと品です。

そしてこちらのお写真。行ってみたらそこは山頂でした…というのはこんな立地。これを見るとわかりやすい!それにしても本当に絵に描いたような絶景ですこと。ずっと見ていたい1枚です。

『祈りの回廊』に掲載された東宮司のお話も是非に。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?