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ショパンの「雨だれ」について考える…

ショパンの有名ピアノ曲の一つである「雨だれ」を僕が初めて弾いたのは12歳の時。まだ子どもだった自分から見たこの作品は甘く、美しく、優しい旋律が印象的で、これほど綺麗なメロディが生まれたのは、当然、作曲家が幸せに満ちていたからだと思い込んでいた。
しかし、この曲の背景はまるで違っていた…

「雨だれ」が含まれる作品集について

そもそも「雨だれ」は単独作品ではなく、ショパンの24の前奏曲(24 Préludes)作品28の第15曲目である。この前奏曲集はJ.S.バッハの平均律クラヴィーア曲集(前奏曲とフーガ24曲×2巻)の影響を大きく受け、バッハに対する敬意とこの作品集に挑むショパン自身の作曲家としての強い想いが込められている。またバッハ同様に24曲全てが違う調性で書かれ、第15番の「雨だれ」は変ニ長調の作品である。

では「雨だれ」はどのようにして誕生したのか

ショパンは恋人の女流作家、ジョルジュ・サンドと地中海にあるマヨルカ島に長期旅行に出かけた。もともとパリで出会った二人だが、有名人同士の交際がなにかとスキャンダルになりやすいこの街からしばらく離れる目的があったとされている。一方、ショパンの持病である肺結核もこの頃かなり悪化していたため、親友の医師により気候の良いマヨルカ島での療養を勧められていた。
しかし二人がマヨルカに到着した直後から島は悪天候が続き、ショパンの容体は急変。高熱のため意識が朦朧とし、死の淵をさまよっていた。
そんなある日、彼のために食料を調達しようとサンドは買い物に出かけたものの、激しい雨と風が島を襲い、しばらく帰れなくなってしまった。深夜、ようやくショパンのもとへ戻ると、彼は熱で震えながらも書き上げたばかりの楽譜を握りしめていた。その楽譜が前奏曲「雨だれ」だった。

この曲を弾きながら、聴きながら改めて想像してみる

嵐の中、一人で残されたショパンは不安と苦しみの中でも作曲をしていた。それも、これほど美しい音楽を書けるとは。やはりピアノの詩人と呼ばれる彼にしかできない事だ...
題名の「雨だれ」はおそらくその場にいたジョルジュ・サンドによるものだが、作品の中で終始続く「トン・トン・トン」という雨音のような響きは果たして本当にマヨルカ島の雨の音だったのだろうか…

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( ©︎ 2020 みゆじック公式ノート)

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