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ヨコハマ物語

昨日買わずにいられなかった文藝別冊・大和和紀。
特別寄稿の豪華さもあるが、なんと言っても豪華対談が超豪華。
(一人暮らしのはじめの10年で読みまくってたお三方が対談なんて)
池田理代子作品と同様10代~20代前半で当時入手できたものは
ほぼ読んでいる。大和作品はとにかくカラーページが美しい✨

手元にあるのはボロボロの「あさきゆめみし」新書版のみになってしまったが、何より印象深いというか、ある台詞で全てが腑に落ちた作品がある。

ヨコハマ物語だ。

私は10歳までハマっ子、その後父の地方転勤に伴い転居し異世界へ。
……そのくらい当時はカルチャーショックだった。
母方の祖父母が石川町駅から徒歩10秒のところで戦前米屋を営んでいた。
戦中に母、戦後に叔父が生まれ、母6歳の時に祖父が結核で亡くなった。
祖父が亡くなった後も超一等地(の超狭小地)に住み続けた祖母。
自身の母(私の曾祖母)を呼び寄せタバコ屋兼駄菓子屋を始め、平行して数年行商などをした後、ニューグランドで働き、女手一つで母・叔父を育て定年まで働いた。
祖母・母・叔父から聞く面白驚愕エピソードは戦後史で習うようなことのまっただ中だったり地続きなのだ。

と幼い頃から横浜旧市街で生き抜いてきた人々に囲まれ、自身もその中で育ったのだが、横浜出身者が言われがちなプライドが高いとか、異常な郷土愛は実際あると思うが、この異常な横浜への執着は何なのだろう。。。と考えていたが、このヨコハマ物語で腑に落ちた。

「外国人の侵入を東京から防ぐため」

横浜は幕末の開港から東京の防波堤・盾だったのだ。緩衝地帯。
このヨコハマ物語はフィクションだが、似たようなことはあったのではなかろうか。
また、戦後の状況も若干重なる。日本中に進駐軍はいたが、幕末から外国人と密に接してきた街ということで居心地が良かったのだろう、長いこと接収されたし、未だに戻ってこない土地もある(超一等地は21世紀の今も未返還)。
祖母の職場だったホテルはマッカーサーの定宿で未だマッカーサースイーツとして残っている。

いきなり未知との遭遇をし、試行錯誤しながら未知の存在に近づき・知り合い・協力し折り合いを付けながら街を、生活を作っていった人々が作った街だ。街への執着・愛着は特別なのだろう。

今はどうか知らないが、私が小学校入学してから転校するまで式典では君が代を歌わず横浜市歌だったし、音楽の授業で最初に習った曲も横浜市歌だ。
(当時君が代は大相撲の千秋楽でかかる曲でしかなかった)
この異常さ?は引っ越して初めて気付いた。
そのくらい東京の盾となった自負があるのか、ただ左なのか。。。

漫画とは大分脱線したが、少女漫画ど真ん中のヨコハマ物語は私にとって
自分のルーツについての心情の謎が解けた・気付きのきっかけになった作品なのだ。


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