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年末年始の挨拶に覚える違和感、その正体は…

こんばんは、もこみです。
年の瀬も押し迫ってきましたね。もう年末年始のお休みに入ったという方も多いのではないでしょうか。

そんな中、ようこさんのこんな記事を読みました。

仕事納めの日によく行われる「今年もお世話になりました。来年もよろしくお願いします」という年末の挨拶。年末だから挨拶するということに対する違和感を、ようこさん独自の切り口で面白く綴られています。

私も会社勤めをしていた頃は、「この挨拶要る⁈」って思っていました。
ようこさんの記事を読んで、この挨拶に限らず、年末年始によく感じる違和感について改めて考えてみました。

謎の不文律

私がこの年末の挨拶にどこか座りの悪さを感じる一番の理由は、言わないといけないものという謎の不文律が出来上がっていること。
そんなに関わりがなくても、もっと言えばお世話になったと思っていなくても(笑)、そう言わないといけないという空気に気持ち悪さを感じるのだと思います。

会社勤めではなくなり、夫婦でお店を始めてから、特にその事を強く感じるようになりました。
つい先日もあるスタッフさんが今年最後の出勤日だったので、同じように年末の挨拶をしたのですが、勤めていた頃とはその思いがまったく違うんです。

小さなお店ですが、夫婦2人ではとても回すことは出来ません。
スタッフさんがいてくれるから何とかやっていけている、と常々思っています。
だからこそ、「お世話になりました。来年もよろしく」という挨拶が、心からの言葉になるのだと思います。

かつての上司や同僚たちには申し訳ないですが、謎の不文律に従って挨拶していただけなので、どこかで「この挨拶要る?」って思っていたのでしょう。

会計年度とのずれ

もう一つの理由が、会計年度とのずれです。
日本では、4月1日から翌年3月31日を会計年度としている会社がほとんどのはず。
それなのに、年度途中の12月末に「お世話になりました」と挨拶をする。
年が明けたらまた同じ仕事、その続きをするのになー、と思ってしまいます。
暦年と会計年度は別物だから仕方ないと言えば仕方ないんですけど、どこかしっくり来ない思いがあります。

12月31日と1月1日は何が違うのか

そしてもっと根本的な話なのですが、新しい年を迎えたからといって何が変わるのか、ということ。

私自身、年越しの瞬間を家族や友達と過ごし、0時を過ぎたら「おめでとう」と祝ってきました。
でも正直「12月31日と1月1日とでいったい何が違うのか」という気持ちは昔からずっとあります。

12月31日も1月1日も同じ一日に変わりはありません。
そして、同じ0時をまたぐことに変わりはないのに、大晦日だけ「おめでとう」と大騒ぎすることに違和感というか、単純に疑問を感じるというか。(すみません、ひねくれ者で💦)

あけましておめでとうの意味

そこで調べてみました。

昔は数え年が一般的でした。
生まれた時が1歳で、翌年の1月1日に2歳になるという考え方ですね。
なので、1月1日は日本国中全員が一つ歳をとる、国民みんなの誕生日ということになります。
…それは「おめでとう🎉」ってなるのも頷けます。
昔は今よりも平均寿命も短かったですし、無事年を重ねられたことはおめでたいことだったのでしょう。

ですが、今は誕生日を基準にした満年齢で数えるのが普通ですし、日本は世界でも有数の長寿大国。
もはや本来の意味は失われてしまって、「おめでとう」と祝う慣習だけが残っているということでしょうか。

おわりに

日本人にとって、新年が特別なものだったことは分かりました。
でも、やっぱり私にとって12月31日も1月1日も、もっと言えば3月31日も4月1日も同じ一日。
結局のところ、一日一日の積み重ねが一年です。
「年末だからこれをしないといけない」「新年だからこれをしよう」と思わなくても、毎日をきちんと大切に過ごしていればそれでいいのかな、と思います。

その上で、年末年始は一つのイベントとして楽しむことにしています。
明日は大晦日。朝から仕事ですが、少し早めにお店を閉めた後は、久々の連休をのんびり過ごそうと思います。
皆さんはどんな年末年始を過ごされますか。

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