うつ病から海外進学
19歳になったこの日に、節目として、私が海外大受験に辿りつくまでを記録に残しておきます。
うつ病だった頃
それはもう2年前のことです。高2になってすぐの休校期間、自分がうつ病であることが発覚しました。
私が通っていた高校は、地方のトップ進学校でした。小・中学校と、周りの環境に流されるがままに塾に通い、気付いたらその高校にたどり着いていました。その高校には、各中学校でトップの成績を取った子たちが集まっており、私は入学して早々、頭が良い子ではなくなってしまいました。それまで自分の中に形成されてきたアイデンティティは、”頭が良い”だけだったのに、です。一瞬にして、自分が誇りとしていたものを失いました。本当につらかった。テストの点数、評定の高さ、模試の偏差値で、先生や親、周りの全ての大人に褒められていました。そうすることで、自分をも認めていました。しかし高校では、大学受験をより強く意識するため、数値を基準とした評価はより一層強まっていきました。
学校の勉強についていけない、努力すらできない自分なんて、ダメ人間だ。いつしか勉強面以外でも、自分を認められなくなりました。それ以上に、自分の存在を常に否定するようになりました。私なんてこの世に必要ない、何度そう思ったことか。
ずっとずっと、学校という環境に自分を押し込めて、我慢してきました。ずっとずっと、自分が弱いだけだ、と自分に言って聞かせていました。そしてとうとう、途中で限界がきました。数学のテスト中に30分間ずっと、涙が止まらなくなりました。登校日の朝、ベッドから起き上がれなくなりました。本気で、このままでは生きられないと思いました。学校を居場所にすることに身の危険を感じたのです。
居場所となった課外活動
私は、生きたい!その一心で学校の外に飛び出しました。そして、課外活動を通して、沢山の居場所を見つけました。沢山の理解者を見つけました。うつ病になったことを打ち明けると、よくここまで来たねと、自分の存在そのものを受け入れてくれる仲間にも出会いました。課外活動という名の私の居場所は、私の内面までのぞき込んでくれる大好きな人たちが集まるところでした。
その頃から、自分の心から湧き上がる想いや、自分にしかない個性そのものを大事にしたいと願ったのです。
一筋の光、海外大受験
”自分自身”を見てくれるもの、それが私にとっての海外大(特にアメリカの大学)受験でした。自分は何者かについて書き尽くすエッセイ、自分の想いを馳せる志望理由書。高3の1年間は、ひたすら自分自身と向き合いました。将来どう在りたいか、人生における幸せは何か、そしてやりたいことや好きなこと。正解のない問いを見つけ出すまで暗闇を歩き続けているような感覚でした。しかし自分が本当に好きなことでやりたいことだったので、なんとか乗り越えられました。(←ここの過程については、また別でnoteを書かせてください!)
最後に読んでくれた皆へ
どんなに苦しくても、辛くても、先が見えなくても。今いる場所から、一歩だけ足を外に出してみると、少し生きやすくなったりする。楽しかったり、ワクワクしたりする。
自分が感じている痛みをどうか、無視しないでください。むしろ、大切にしてあげてください。そして自分の心の想うままに進めば、きっと道は開けます。今選んでいる道は、あなたが本当に行きたい道ですか?
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