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トラウマとの共存

こんばんは。
今日も一日お疲れ様。

今日も頑張って仕事に行ったよ。
配属先を出てから、少し肩の荷が降りて楽になった。
もちろん他に移ったからと言って、全てが楽になったわけではないけど時間に追われるプレッシャーは少しは減ったので、自分にとってはよかったと思う。

「できなかった」と自分を責めるのをやめよう。
「できなかった」のだから仕方ない。

私はいつも自分を責めてしまう。
こうなったのは自分の責任だ。
全て自分が悪いと・・・

こういう考えになったのは、中学の時に自分を傷つけてしまって両親に精神科のカウンセリングに連れて行かれた時のトラウマからだ。

カウンセラーの先生に、

「どうしてこういうことをしたの?」
「なんで答えないの?」
「全部あなたが悪いんでしょ?」

と私の話など聞かずに、1時間責め続けられました。
「なんで答えないの?」と言われても、何か発すれば、「全部あなたが悪いんでしょ」と言われてしまうから・・・

私はずっと泣き続けました。
時間が終わり、診察室から出てきても涙は止まりません。
両親はきっと話を聞いてもらってスッキリしたからだろうと思っていたようですが、実はその逆で、1時間もの間責め続けられて泣いていたということがわかったのは、帰りの車の中でした。

両親は次回の予約もしていたのですが、帰宅途中の車の中で、少し落ち着いた私が事の顛末を話したところ大激怒。
次回の予約を取り消し、もうここには来ないと言ってくれました。

両親はとても優しいので、家庭環境が原因とかではなく、学校生活で不安なことが多すぎて精神的に不安定になってしまったことが原因で、自分はこうなってしまっていました。

今でも忘れられません。

「自分が悪いんでしょ」
「こうなったのは全てあなたが悪い」

まるで洗脳を受けてるかのようでした。
このトラウマは全然克服できません。
いまだに何かあれば

「自分が悪いんだ」

と責めてしまいます。
きっとこの時から、不安障害の根っこはあったのかもしれません。

それからというもの、外には出られなくなりました。
誰かに責められるという気持ちから、人と会うのが怖くなったからです。

不登校です。
自分をどんな目で見てるのだろう・・・
怖い・・・
不安定だった時は、感情を抑えきれずキレていたりしたので、周りの目はとても気になりました。

自分の責任の部分はたくさんあります。
思春期で感情をコントロールできなかった。
今思えばこれは言い訳です。

カウンセラーの先生が言ってることも間違いではない。
優しくして欲しかったっていうのは自分の都合でしかない。

不登校になって1年、中2になって、少しずつ学校には行けるようになりました。
最初は教室に入れたのですが、やはり、授業を受けるのが不安で怖くてサボってしまいました。
またすぐに不登校に戻るかと思ったけど、とても良くしてくださる先生がいてその先生のおかげで、職員室登校ができていました。

職員室で勉強して、わからないところがあれば先生に聞き、気疲れしたら休む・・・
そんな学校生活を送っていました。
仲の良い友達が、時々一緒に給食を食べてくれたりしました。
それが本当に嬉しかった。
家にも来てくれて他愛のない話をしたり、たまに外に連れ出してくれたり・・・

そのおかげで、私は引きこもりにならなかった気がします。
高校も通信制ですが通うことができました。
勉強に自信がなく、不安でいっぱいでしたが3年で卒業できました。

カウンセラーの先生は最悪だったけど、その後に出会った人たちのおかげで今の私があります。
トラウマは克服できてないけど、共存して生きています。

辛い時は辛いって言って良いんです。
泣きたい時は大きな声で泣きましょう。

生きているのが辛いのは中学時代から変わりません(笑)
どうすれば良いかもいまだに分かりませんが、とりあえず生きています。

そしてこれからもこんな感じで生きてみます。
生きてることが辛いだなんて両親には言えません。
また悲しい思いをさせるから。
これからの人生笑い合って過ごしてもらいたいので、これは心にそっとしまっておきます。

ここだけの秘密です(笑)

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