シャネルのマーケティング戦略と覚悟
シャネルといえば言わずも知れた世界的ブランド。
先日、シャネルの展覧会に訪れたことでガブリエル・シャネルという人物に興味を持ったのでいくつかの本を読んでみると、意外にもマーケティングの勉強になる。
そして、彼女の残した言葉には人生を生きる上で大切なことが詰まっていた。
ガブリエル・シャネルの人物像
シャネルは貧しい生まれであった。
父親に捨てられ、孤児院である修道院で過ごした不幸な幼少期の記憶は、生涯彼女にこびりつき、凄まじい復讐心と、自分のスタイル、強い意志を育むこととなった。
「私の人生は楽しくなかった。だから私は自分の人生を創造したの。」
シャネルは絶対に譲らない容赦のない人だったという、彼女は従業員にだけでなく、自らにも厳しい要求を出していた。
自らの美的感覚に確固たる自信を持ち、流れに逆らうことを恐れない人だった。
「私は物事を中途半端にしたことが一度もない。人に対して生ぬるい感情は抱かない、好きか、嫌いかよ。」
そんな強烈な性格はますます人々を惹きつけ、特に富裕層の男性らから愛された。
スタイルの着想は自分自身から
当時新しいと言われたシャネルのスタイルはどこから生まれたのか?
着想が生まれたのは、自分自身のスタイルからであった。
動くこと、楽なことが好きなシャネルは、ドレスを短くし、きつく絞られたウエストラインを捨て、女性の身体を解放した。それが自分の性格や習慣、スタイルに合うものだったからだ。
彼女は自分の直感に従った。
「みんな私の着ているものを見て笑ったわ。でもそれが成功の鍵。みんなと同じ格好をしなかったからよ。」
シャネルのセルフイメージ戦略
シャネルは自分の見せ方をよく心得ていた。
マン・レイなど、世界的に有名な写真家に撮ってもらった写真で公のイメージを作り上げ、偶然の出来事を我が物とし、自分の幸運と運命を信じた。
自分の名を汚さぬよう、控えめでいることを自らに課し、誘惑や安易な生活を拒絶してできるだけ人目につかないようにするほど徹底することで、自分の人生を神話化していったのだ。
シャネルのロゴから見える理念
シャネルのロゴは「Helvetica(ヘルベチカ)」というフォントをベースにしている。
Helveticaは幅広い汎用性があり、「MUJI」「TOYOTA」「THE NORTH FACE」のロゴなど世界中で最も使用されているスイスで生まれたフォントだ。
無機質で普遍的、どんなデザインにも馴染むようなプレーンな表情が特徴のフォントは、シンプルさを愛したシャネルの理念に見合っている。
「シンプルさこそ、真のエレガンスの鍵。」
CHANEL N°5の香水にみる戦略
シャネルで最も知られている香水である「N°5」は1921年に作られた。
調香師が作った10種類の中から選ばれた香水だ。名前はサンプル名をそのまま残して「N°5」と付けられている。
「5」という数字はシャネルにとって特別であり、幸運をもたらす数字だと信じていたからだ。
当時、香水のボトルには凝ったデザインが多かった中で、N°5のボトルには透明でミニマルなボトルを採用し、ボトルではなく香水自体を主役とした。
ボトルストッパーはパリのヴァンドーム広場の形になっている。
パッケージも白に黒縁というシンプルなものだ。これは流行に左右されず普遍的な美しさを保ち、現代でも古くささを感じさせないものとなる。
シャネルは香水を発表する際に、ステルス戦略をとった。
ステルス戦略とは…STM(ステルス・マーケティング)。消費者に宣伝と気づかれないように宣伝行為をすること。ゲリラ・マーケティングとも呼ばれる。
上得意客に発表の前の香水を渡しておき、何人かがもっと欲しいというと、「どの香水のこと?」とわざと驚いて聞き返した。
またブティックのフィッティングルームに香水をスプレーするよう売り子に命じた。
また、N°5はこれまでの香水業界にはなかった手法で宣伝を始める。
1937年、シャネルはハーパスバザー誌で自ら香水のモデルを務めた。プロのモデルではなく、デザイナーがモデルを務めるのは初めてのことである。
そしてスーパーボウル(アメリカンフットボールの最高の大会)の決勝戦で香水のコマーシャルを流した。
これらの戦略は大当たりし、「 N°5」はCHANELのアイコニック的な存在となるほど世界的に大きな売り上げを見せた。
まとめ
シャネルがここまで戦略的かつ、自分に正直に生きた人物だとは今まで知らなかった。
彼女にあったのは圧倒的な覚悟とブレない軸だ。
人生は一度きり。だから思いっきり楽しむべきよ。
覚悟さえ決まれば、我々にだって自分の人生を自分でつくることが出来るのだ。
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