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15歳のわたし

私は15の頃、夜中に家を抜け出して遊んでいた。母親がとにかく厳しい人で、門限はもちろん、遊ぶ相手まで制限してくるような親だった。

母親は私が幼い頃から、私の存在を全て否定してくるような人間だった。だから、私は多分こんな人間になってしまったのだろうと思う。

15の頃、とにかく家から出たかった。家にいたくない、自分以外の誰かと一緒にいたかった。

だから、私は家が寝静まった頃、夜中に家を抜け出してその頃付き合っていた彼氏とよく遊んでいた。

何食わぬ顔で夕飯を食べ、お風呂に入り、パジャマを着て両親におやすみという。数時間経ち、家が寝静まった頃、服を着て化粧をして、玄関から出て行った。

家まで彼氏に車で迎えにきてもらい、彼氏の家やラブホテルにいっていた。

朝6時までに帰らないといけないので、寝ないでそのまま車で家の下まで送ってもらい、そーっと玄関から家に入り、化粧を落としてパジャマを着て仮眠をとった。

数時間経ったら、いつも通りに起こされて、朝ご飯を食べて、何食わぬ顔で学校にいった。

荒れに荒れて、家に帰らないで遊ぶという選択肢は私にはなかった。両親の前ではいたって真面目な高校生を演じていた。こんなことをしているとは友達にも話さなかった。

自分を痛めつけることもやめられなかった。その頃流行っていたリストカットは痛そうでなんとなく怖くてできなかったけど、その代わりに耳に穴をあけまくっていた。

安全ピンを耳にさして、ピアスの穴をあけていた。実際は痛いし、最後の皮が中々かたくて通らないことが多いけど、その痛さにハマっていた。そのうち耳たぶにあける場所がなくなって、軟骨部分にも安全ピンをさした。

体育の先生に安全ピンがささった耳を一度見られたことがあったけど、先生は何も言わずにいてくれた。

だから私は高校生時代は一貫して黒髪ロングで過ごしていた。耳を出すスタイルは絶対しなかった。耳を隠すために、ストレートのロングヘア以外をしたことがなかった。

もう今ではほとんどふさがっているけど、私の耳には10個以上のピアスの穴があいている。自傷行為というのだろうか、今思えば耳だけで終わってよかったと思う。

夜中に出歩くことが増えて、私は気が緩んでいたというか、慣れてしまったのだと思う。ある日、両親に夜中出歩いている事実がバレてしまった。

その日も私は夜中に家を抜け出して、彼氏と遊んでいた。

いつものように玄関から家に入ると、母親が玄関に立っていた。多分たまたま起きていて、玄関で物音がしたので見に来たようだった。

私と母親は目があったまま、お互い何も言わなかった。ありえない光景をみると人間は硬直する。

色々怖い思いを場面をしたことなんてこれまでいくつかあるけど、親から逃げることが全てだったこの頃の私にとって、この日の怖さは今でもはっきり覚えている。

「なにしてんの?」
確か母親の一声はこの言葉だった。

黙っている私を見かねて、母親は父親を呼んだ。殴られるかなんかされるかと思ったけど、何もされなかった。

何をしていたのかを何度も聞かれるけど、本当のことなんて言えない。とっさに「ただ外に行きたくてふらふらしていた」といった。

色々な言葉で罵倒されていたけど、ただただ耐えていた。

ラブホテルの安いシャンプーの匂いをした私を、数時間前まで知らない男に抱かれていた私を、いつもと違う化粧をしている私を、耳に10個以上の穴が開いている私を、

罵倒するけど、彼女らは私の変化に何一つ気づかなかった。

それからは夜中に出歩くどころか、友達と遊びにいくことも禁止された。母親は私の日記を監視して、私の持ち物や携帯も見ていた。

夫の浮気を監視する妻みたいに、母親は私のことをいつも監視していた。

とはいっても私がそれでおとなしく過ごすわけもなく、塾にいくふりをして昼間に男と遊ぶようになっただけだった。

私は両親から逃げたいのに、逃げる勇気はなかった。目の前で荒れたところを見せることもできなかった。反抗することも、両親に口ごたえをすることも一度もなかった。

両親に隠れたところで抵抗するしかなかった。私はただ、両親以外の人に安心を求めていた。

それから優等生の私は男と遊びながらも勉強を頑張り、第一志望の大学に受かった。離れて暮らすようになっても、私は両親の知らないところで荒れた生活を送るだけだった。

でも、毎日勉強を頑張っているという自分を演じて、優等生の自分を両親に報告していた。

たくさんの男と出会ってその度に身体を重ねて、自分の体を大事にできないのは、この15の頃から。
女よりもオトコと一緒にいたくて、オトコといることで自分の存在を見出していた。

数えきれないほどの男に抱かれて、顔を覚えていない人もたくさんいる。私は、本当の名前や住んでいる場所も知らない男たちといつも一緒にいた。
男であれば誰でも良かった。私と一緒にいてくれるのであれば。

自分に価値がないと思い、生きている実感がなくて、いつも消えたいと思っていて、誰かに愛されたいと思うのはこの頃からずっと変わらない。
誰かに一緒にいてほしいと思うのは、思えば15の頃からだった。

だから、なんとなく気づいている。私が生きている実感がない理由も、解放されない理由も。

開けてはいけないパンドラの箱みたいに、私の中で触りたくない部分がある。きっとそこに全てが詰まっている気がする。本当は怖くて開けたくない。
でもnoteでなら、少しずつ開けられるかもしれない。

自分で自分を整理して。記憶があるうちに。あの頃の気持ちを。少しずつ書いてみようか。私のために。

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