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顔を覚えている男の話③

彼氏でもなんでもなかったけど、顔をしっかり覚えている人の話。

彼はたぶん私より20歳くらい上だった。当時私が20歳くらいで、彼は40歳くらいだったと思う。

きちんとした年齢も知らないのに、なぜか長い付き合いになった彼。

彼との出会いは、学生時代に通っていたバーだった。彼はそのバーのオーナーをしていた。

バーといっても、お酒を飲んでいる人もいるし歌を歌っている人もいるし、たくさんの人がいるようなお店。

オーナーも歌がうまくて、たくさんの人が彼の歌を聞きにきていた。大学のときに先輩に誘われてそのバーに行って、初めてそのオーナーに出会った。

オーナーはとても渋い顔をしていた。ハーフによく間違えらえるといっていた。外人みたいな顔で渋くて、かっこよかった。

笑うと目にしわができるところが好きだった。こわもてなタイプで、彼よりもずっと年上のおばさんたちが彼の周りに群がっていた。

彼と私はおそらく20歳くらい離れていたけど、私はおじいちゃんみたいな人ともご飯にいったりしていたので、彼は私の中でまだ若い方だった。暇になるとそのバーにいって、一人でご飯を食べたりいろんな人が歌う歌を聞いたりしていた。


そのお店は街の中の地下にあって、薄暗いのに妙に広くて、週末になるとたくさんの人がいた。営業時間が終わるのが早朝で、それまで私も遊んでいて、終わったらみんなでお酒を飲んだりした。

オーナーである彼といつからそういう関係になったか全く覚えていないけど、気づいたらいつの間にかそういう関係になっていた。

みんなで飲んだ後、私とオーナーでホテルにいくのがいつもの日課だった。

彼は結婚していたとも聞いたことがあるけど、私は特に興味がなかった。私より3つ下の娘がいるというのも聞いたことがあるけど、別にどうでもよかった。

恋愛感情は何もなかった。そのときに一緒にいたいから一緒にいる、お互いがそのとき求めるから求めあう、ただそれだけの関係だった。

「〇〇ちゃんといると、楽だよ」とよく彼は私にいった。女と寝ると付き合って、といわれるのがめんどくさいらしい。

私は彼と付き合いたくないから、もちろん言わない。だからそれが楽だったんだろう。連絡がくれば会いに行く、それだけの関係だったのだから。

彼とは大学を卒業してからも連絡を取り合っていた。私が上京したタイミングで、偶然にも彼が関東周辺にお店を出すことになったからだ。

仕事帰りの私を会社まで車で迎えにきてくれて、週末一緒に過ごして、月曜日の朝にまた会社まで送ってくれたりした。

私が入社したのは結構真面目な会社だったのに、ものすごい音が出る派手な車から金髪の彼が出てきて、私を車に乗せるから周りの人もびっくりしていたと思う。本当は恥ずかしかったけど、彼が来るというから断れなかった。

地方にお店を出した彼のところに、終電で向かって、そのままご飯を食べてホテルにいって過ごしたりした。彼のお店の従業員という知らない人たちとまた一緒に飲んだり遊んだりした。今思えば、私のことは周りにどう紹介していたのだろうか。

彼氏でも、親でも、友達でもない。ただ一緒に過ごしたいときに過ごすだけの関係。

彼の年齢も、誕生日も、本当の名前も知らない。知っているのは、電話番号だけだった。それなのに、彼との関係は5年も続いた。

5年もの間、長い時間たくさん話したはずなのに、何を話していたのか、何を聞いたのか、会話すらも思い出せない。

きっと意味のない話をして、お互いの寂しさを埋めるだけの関係だったのかもしれない。

そのうち私も他に好きな人ができて、仕事が忙しくなってきたころから彼との連絡もおろそかになってきた。でも、彼から連絡がこなくても別にどうも思わない、私が連絡をしなくても、彼も何も気にしない。それがお互いの関係だった。

私は彼に結婚することもいわなかった。娘を出産して、病院に入院しているときに何度か彼から着信が入っていたけど電話には出なかった。彼とはそれが最後になった。

人は私のことを冷たい女と思うかもしれない。適当に男をあさって、飽きたら捨てて、必要がなくなればさよならをする。

求められても求められなくても、必要がなくなれば連絡をとらなくなる。5年も関係が続いたのに、彼に情も一切持たない。

生きているのか、死んでいるのかすらも興味がない。私はやっぱり冷たい人間なのかもしれない。

それでも、たくさんの顔を覚えていないオトコたちがたくさんいる中でも彼の顔はよく覚えている。

彼の綺麗な歌声と、服についたたばこの匂いと、笑ったときに出る目のしわ。私は、彼の温かい身体にくっついて眠るのが好きだった。

こうやって彼のことを文字に起こすことでやっと思い出す。彼の映像がなんとなく頭の中に浮かんでくる。

もうきっと、彼のことを思い出すのはこれが最後かもしれない。

でも、それでいい。

顔を覚えているのに、電話番号でしかつながっていなかった彼。

彼が自分の綺麗な歌声を、今でも誰かに聞かせていたらいいなと思っている。

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