無投票は誰が悪いのか

某市の市議会議員さんと偶然出会って立ち話したときのこと。

市議会議員選挙では、定員と立候補者が同数になると、無投票当選となります。無投票となると民意が反映されない、という批判は根強いものがありますが、地元紙なんかは議会議論が活発でないから、などと現職の議員さんたちを批判するような論調になることがままあります。先日の佐久市議選が無投票になった際の信濃毎日新聞の論評記事では、「市議会が存在感を示せていないことも要因の一つ。」と一刀両断していました。

立ち話をしたその議員さんは、そういった論調に対し、「私はリスクをとって選挙に出ている。私ができる最大のことをしている。それだけのことをしているのに、立候補した人間をつかまえて『無投票はお前たちのせいだ』と怒られっちまうのにはどうも腑に落ちないんだ」といいます。

私も、まったくその通りだと思います。

私は、もうちょっと厳しい言い方になりますが、被選挙権を持っている25歳以上の市民のうち、立候補しなかった全員が等しく、少しずつ責任があると思っています。出る権利はあるのに、出なかったのですから。

出ないのには、いろんな理由があるでしょうから、一律に批判できるものでは本来ありません。しかし、市議会の議論が活発じゃないから立候補者が少ない、という論評にはとても合理性は感じられません。

マスメディアはいつまで「おまかせ民主主義」を主導したいのでしょうか。私も新聞記者だった時期は長いので、一般市民を批判するような論調を採るのが難しいことは承知しています。しかし、この件に関しては、責任の一端を担う覚悟を持っている人が立候補という道を選んでいる以上、無投票の責任は「出なかった人全員」にあると考えた方が合理的かつ生産的なのではないでしょうか。

リスクを取った人が正しく評価される世の中になってほしいものだと感じています。


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