「君が家に帰った時に」を改めて聴いて、とまどいを隠せないでいる。
何気なく聴いていた曲が、今までと違うように聞こえることがある。
ひとつのフレーズにひっかかり、その曲に対して抱いていた情景が全く違うものになることが──。
歌詞から想像する情景
ASKAさんのソロアルバム、『ONE』に収録されている「君が家に帰った時に」。
白状してしまうと、今までこの曲をあまりじっくり聴いてこなかった。
今までこの曲に対して何となく描いていた情景はこんな感じである。
「君」が入院することになった。とは言っても大事をとってということであったので、病状は深刻なものではないらしい。
「君」にねだられ、日ごと見舞いに行く「僕」。
「君」は一人きりの入院生活ですっかり気弱になってしまったようだ。
いつも足早に帰ろうとする「僕」を引き留めようと、驚かすようなことを言い出すことがある。
「私、死んじゃうかもしれないわ。」
少し困った顔をしてから、「僕」は微笑む。
「君が死んでも、僕は生きるよ。
だからね、いつまでもしょげてないで、早く元気になって帰っておいで。」
君が家に帰ったら、会わせたいやつがいるから──。
という感じ。なんだかんだ言ってラブラブな微笑ましい恋人たちの歌、というイメージ。
疑問の歌詞〜深読みポイント〜
だが、このイメージをもとに聴き進めていくとある一箇所で立ち止まってしまう。
冬の窓を見て 蝶がいると言う
枯れた枝にかかる 鳥の羽根を見て
今年の冬は暖かいからと
不思議なことだと 騙されてみる
ここはどういうことなのだろう。
何通りかに解釈ができると思う。
もしこれが「君」の病状を暗に示すものであるとしたら、二人の間に流れる空気は想像していたよりももっと深刻なものなのかもしれない。
しかし「騙されてみる」という言葉を深読みすると、「君」の冗談に付き合ってあげているというふうにも取れる。
「僕」から色々な話を聞かせてもらってるばかりでは申し訳ない、自分からも何か面白い話をしたい。
しかし病院での生活では、それを見つけるのはなかなか難しい。
そう思った「君」は、目に入ったものをきっかけに作り話をする。
そういうこともあるかもしれない。
皆さんはここをどう解釈しているのだろう。聞いてみたい。(丸投げ)
怒り=生へのエネルギー
どちらにせよ、この「僕」は彼女思いの優しい彼氏だと思われる。
白い綿が透明の水を吸うように
君は僕の言葉を集めている
「君」は、ただ「僕」が来るのを、そして「僕」の話すことを日々の心の頼りにしている。
一人の時間はどうしても気が滅入ることだろう。
気弱な心になることは、病気にとって良くないということは言うまでもない。
「君」を楽しませるために、毎日面白い話を考える「僕」。
一方の「僕」も、「君」が居なくて寂しい毎日を送っている。
そんなある日、「君によく似た猫」に出会う。
寂しそうに「僕」を見つめる「君」に似た猫を放って置けなくなった「僕」。
そして「君」が興味を示すだろうという期待もあって、猫を連れて帰る。
「猫を飼うことにしたんだ。君によく似ていたからほっとけなくってね。
早く家に帰って、遊んでやってよ。一緒に待ってるからさ。」
曲の冒頭でふくれていた彼女のことである。これを聞いた時の心中はこうだろう。
「私をそっちのけで猫とイチャイチャしてるのね!」
酷く落ち込んでいる時、頭に来ることがあって、落ち込んでいた事を忘れてしまうという経験がある。
怒りは生へのエネルギーになりうるのだ。
「病は気から」と言うように、彼女の場合も怒りのパワーが病気に対抗する力になることだろう。
もしこれを「僕」が計算の上でやっていたとしたら大した策士だと思う。
「早く君が元気になって欲しい。病気に負けることなく生き抜いて欲しい。」
根底にはそんな深い愛情があるのだろう。
この曲はただ恋人の仲の良いやり取りを描いてるだけではない。
孤独を抱えながらも、お互いを思いやり、二人の時間を丁寧に築き上げていこうとする恋人たち、そんなあたたかい情景が描かれているのだと思う。
ところで、
猫と男性が戯れてる姿ってときめくよね...。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?