見出し画像

妖怪コレクション1 予言獣「アマビコ」

今回から、「妖怪コレクション」と題して、約5,000点の所蔵品のなかから、学芸員のおすすめをご紹介するシリーズをはじめます。
発信は不定期になりますが、お楽しみいただけると幸いです。

記念すべき第1回目では、予言獣「アマビコ」をご紹介します。

「アマビコ」は、予言する幻獣、予言獣です。
ある日突然、主に海からあらわれて、出会った人に予言をします。
予言の内容はだいたい共通していて、農作物の出来と、疫病の流行について。
農作物は多くの場合、豊作になりますが、その一方で、流行病によって多くの人が亡くなるという、恐ろしいものです。

しかし有難いことに、その災難をさけるための方法を、予言とセットで授けてくれます。
それは、「自分の姿を描け」や、「自分の姿を貼り置け」という、いたってシンプルなもの。

かつて、そんなアマビコのご利益を信じた人が、その姿が描かれた護符を買い求めたり、それを手本に自分で描いたりした、と考えられています。
また、このようなふしぎな噂があったことを、風説留(ふうせつどめ。政治情報などを集め書きとめたもの)に記録として残した人もいました。

江戸時代後期から明治時代に入っても、何度か話題となったようですが、その後次第に忘れられていき、現代では知る人ぞ知る妖怪になっていました。
しかし、このコロナ禍で、京都大学附属図書館が所蔵する「アマビエ」のブームをきっかけに、100年以上ぶりに、再び注目を集めています。

※「アマビエ」と「アマビコ」には、絵にも文章にも多くの共通点があり、もともとは仲間だったのではないか、と考えられています。そして、「アマビコ」の方が記録が古く、また資料も多く残されているので、アマビコの「コ」が「エ」に変化して、アマビエになった、という説が有力です。

さて、早速ですが、資料の紹介にうつりましょう。
今回は、いずれも紙資料の3点をご紹介します。

【その1】 「予言獣 尼彦」明治時代 39.1×27.6㎝

P34予言獣 尼彦

(翻刻)
肥後国熊本県御領分真字郡と申所に毎夜毎夜
猿の声して人を呼ぶ 同所に柴田五郎左衛門と
申人聞届の所 我は海中に住む
尼彦と申者なり 偖告るに
本年より向う
六ヶ年豊作なるも
諸国に流行病多し
人間六分通り死申候
然れども我が姿座前に
貼置かば必ず其病難を免るべし
故に此を人々にしらしめとて遂に
何処方とも無く失せたりけり

(現代語訳)
肥後国熊本県の真字郡というところに、夜な夜な、何かが猿の声で人を呼ぶので、柴田五郎左衛門という人が聞き届けたところ、「私は海中に住む尼彦という者である。本年より向こう6年は豊作だが、各地で病がはやり、人間の6割が死ぬだろう。しかし、私の姿を貼り置けば、必ずその病難を免れることができる。これを人々に知らしめなさい」と言い残し、どこかへ消え失せた。

(解説)
「熊本県」という地名から、明治時代以降の資料だと考えられます。
肉筆(手書き)の資料で、書いた人についてはわかっていません。

顔以外の全身が毛におおわれた、猿のような姿で、するどい爪をもつ短い足が生えています。
足の数は、他の多くのアマビコのように一見、3本のように見えますが、4本目の足が少しのぞいているようにも見えます。
顔は、丸く見開かれた目と、大きな鼻が印象的です。

【その2】 「尼彦入道」明治時代 32.2×23.3㎝

P36尼彦入道

(翻刻)
尼彦入道
日向の国イリノ浜沖へ出たる
入道也 此入道を見たる人は
熊本士族芝田忠太郎と
申者也 此入道もうす
事には当年より
六ヶ年大豊年也と
申事也 然る処当年
悪病にて日本人(数文字欠)
申事也 此入道の姿を張置朝夕
見る時は其大難をのがすと申事也

(現代語訳)
日向の国イリノ浜の沖に出た入道である。この入道を見たのは、熊本の士族・芝田忠太郎という人であった。この入道が言うことには、「当年から6年間は大豊作となるであろう。しかし当年から悪病で、日本人(数文字欠)となるであろう。入道の姿を貼り置いて、朝夕に見れば、その大難を逃れられる」と言ったという。

(解説)
「士族」という身分の表し方から、明治時代以降の資料だと考えられます。
墨一色の刷り物で、にじみやかすれがあり、決して丁寧なつくりとは言えません。
現在は表紙がつけられ冊子状になっていますが、もともとは一枚物として売られていた、瓦版であったと考えられます。

その姿は、鳥のような足が9本、手か翼のようなものが体から生え、羽毛か鱗のようなものが頭部以外をおおっています。
頭は人間のようで、顔には深いしわが刻まれています。
目はぎょろりとしていて、鼻も口も大きく、おそろしげな表情です。

かつて、【その1】と【その2】は、ある個人のコレクションでしたが、2点をまとめて、湯本豪一(当館名誉館長)が譲り受けたということです。
それ以前にどのような来歴をたどってきたかは、わかっていません。

【その3】 「阿磨比古」江戸時代 12.5×8.5㎝

P29阿磨比古

(解説)
漢字4文字で、「阿磨比古」。「アマビコ」と読むと考えられます。
江戸時代の文書類をまとめたものの中に入っていたと伝わっているので、江戸時代に作られた資料としています。

肉筆(手書き)の資料で、「阿磨比古」以外の書き込みはありません。
サイズ表記を見ていただくとわかるように、ハガキより小さな紙片です。
全身が毛のようなものでおおわれており、右向きの横顔で、鼻かくちばしのような部分が目立ちます。


さて、ここまで3つのアマビコ資料をご紹介してきました。

アマビコは、絵と文章がセットで伝わっているものがほとんどです。
瓦版や風説留などの、情報を誰かに伝える目的で作られるものに書かれるとき、まずそれが何なのかという説明の文章と、厄除けの条件である姿を絵で描くことが必要だったからです。

そう考えたとき、【その3】の「阿磨比古」は名前をそえた絵のみであることから、誰かに情報を伝えるために描いたのでない、自分、あるいは近しい人が拝むためだけに描いた、アマビコの終着駅であったとみることもできます。
そこからは、アマビコのご利益を信じた人の、純粋な祈りのすがたが想像できます。

昨今、不安な世の中にあって、何かに頼りたい、祈りの気持ちを寄せたいという、人の願いと営みは、この現代においても変わらないということを実感しています。
当館のアマビコも、どこかの誰かの支えになりますように。そう願ってやみません。

文:吉川奈緒子(湯本豪一記念日本妖怪博物館学芸員)

※今回ご紹介した資料は、2021年9月2日現在、展示していません。今後の展示については未定です。


(参考文献)
湯本豪一「妖怪「アマビエ」の正体 記事から謎を解く」(『明治妖怪新聞』、柏書房、1999年)
湯本豪一「予言する幻獣 ―アマビコを中心に―」(『日本妖怪学大全』、小学館、2003年)
長野栄俊「予言獣アマビコ考 ―「海彦」をてがかりに」(『若越郷土研究』49巻2号、福井県郷土誌懇談会、2005年)
長野栄俊「予言獣アマビコ・再考」(『〈妖怪文化叢書〉妖怪文化研究の最前線』、せりか書房、2009年)


追伸

当館公式SNSでも情報を発信していますので、そちらもぜひご覧ください。

【Twitter】 https://twitter.com/mononoke_museum/

【Instagram】 https://www.instagram.com/mononoke0426/

【Facebook】 https://www.facebook.com/mononoke.museum/


よろしければサポートお願いします!