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いったんお金のことは忘れることにした

「お金について考えていること」。
なんですか、これは。わたしのためにあるようなテーマじゃないか。

というのは私は「お金」をテーマに別のブログを書いていたからだ。(今も閉鎖はしていないが、更新頻度が低い上に関係ないことを書くことが増えているので、過去形にしておく。)

そのブログのテーマをお金に据えたのは、単純な理由で、お金のことなら色んなネタを持っていたからだ。

家計管理の考え方やコツ、税金のこと、住宅ローンのこと、保険のこと、そして投資信託を使ったコツコツ投資を15年以上続けていたこともあり、iDeCoやつみたてNISAの始め方も得意分野だった。

どこかに書いてあるような一般的なことは書きたくないという思いがあったので、自分の経験を交えて書くことにこだわった。

更に他の人のすすめもあり、ブログ経由で人を集めて、少人数の講座を開いたり、個人相談を受けたりした。

宣伝が稚拙だったわりに、毎月必ず申し込みはあったし、自分の予想より繁盛した。自分自身の経験もまじえて書くようにしたこと、わたしのパーソナリティをわかってもらえるように書いたことが信頼につながったようだった。

そもそも、なぜそんなにお金について詳しくなったのか?
それは知るのが楽しかったからである。

わたし自身の本職はSEで、金融関連の仕事についたこともない素人だ。

でもお金についての本を何冊読んだかわからない。100冊までは数えたが、それ以上は数えていない。

週1ペースで本屋に行き、新刊で気になるお金の本が出ていないかチェックしては買う、ネットを探しては最新情報や個人の事例を調べる、日経新聞で気になる記事は切り取って保存する、そんな日々が10年以上、習慣となっていたのである。

実際、本屋で売られている本に書かれているようなことならば、すらすらと説明できるぐらい詳しかった。大して勉強もしないでFP2級まで取得した。

別に頭がいいとかではない。たんに、あまりにお金の本や記事を読みすぎて、完全なオタクと化していたのである。

アニメのコアなファンが好きなシーン、好きなセリフ、好きなキャラクターについて語れるように、お金について語れるようになってしまっていた。

ある意味、それは「趣味」であり、「遊び」でもあった。
そんな人間にとって資格取得は簡単だったし、ブログのテーマにも据えることができた。

そう、わたしは一時期とりつかれたようにお金のことを調べまくっていたのである。いや、とりつかれていたようにではなくて、あれはとりつかれていたと思う。

でもだんだん、疑問を感じてしまって、相談を受けることを止めることにした。
「本業が忙しくなったから」と言ったが、半分も理由は占めていない。

正直に言うと、憑き物が落ちたのである。
要は飽きてしまったのだ。

誤解がないように言うと、お金の相談に乗ってほしい、教えてほしいと、わたしのところに来てくれる人と出会うのは非常に新鮮で楽しかったし、何よりありがたかった。

でも肝心の自分が、お金のことについて調べることに、楽しさも喜びを感じなくなってしまった。

何を見ても、読んでも、ほとんど知っていることだから、あるいは知っていることの応用でしかないから。
知り得たことを実践で試すというのは、最初の数年でやりつくしてしまっていた。おそらくブログを始めた頃には九割方終わっていたと思う。

そうすると、もうやることがない。

お金への恋心が失われてしまったのである。
まあまあ長い恋愛期間だったが、最後は実にアッサリしたものだった。

そして恋が冷めるに前後して、もう一つ分かったことがある。
お金の知識はすべて補完にすぎないということだ。

もちろんあるに越したことはないが、もっと大切なことがある。
それは「自分がどうありたいか」なのだ。

そして青い鳥ならぬ、身近に先生がいたことに愕然としたのである。

それは私の夫だった。

彼のことを私は独身時代からずっと、お金の劣等生だと思っていた。

30代半ばまで家族と同居していたのに貯金もろくにせず、給料を好きなように使っていた男。結婚当初、結婚資金もなかった男。しかも結婚してからも、お金についてはほぼすべて私任せだった男、である。

わたしの中で「この人は私がいないと破産する」という頭があった。

しかし最近、気付いたことがある。
劣等生と思っていた夫のほうがお金センスがあるのだ。

まず彼はいわゆる仕事が出来る男で、「収入が上がらない」とこぼす人が多かった最初の会社でも、すいすいと管理職になったために「給料が低い」とこぼす人をわき目に、若い時にまあまあ給料は上がった。

彼の好きな言葉は、及川卓也さんの著書で知った「挑まなければ得られない」。

挑戦し続ける姿勢をとりたかったのに、惰性に流れる会社の姿勢に疑問を感じて会社を辞めた。
そしてしばらく休んだ後に、50歳前という年齢でありえない転職を果たして給料が上がった。

更に、趣味のためにHPや公式LINEを運営していたら、それを知った人の紹介で自営業者の手伝いをするようになり、それが副業となった。
挙句の果てに、顧客に大変感謝され、つい先日、倍額オファーで3年契約まで受けたのである。

なんて自慢のようだが、わたしからすると「は?なんだそれ」である。

私は疲れない程度にほどほどの仕事をして、ほどほどの収入を得て、「まあこんなものか」と思っていた。そして家計管理で、家のお金をなるべく多く残したり、増やしたりしようと、日々頑張っていた。

そうしたら同居人は「今の自分より明日の自分は成長していたい」と常に考え、努力し、全力で遊んだ結果、あっさりと家計管理でちびちびと生まれる金額を上回るお金を持ってきた。

しかも彼はお金の使い方に迷いがない。
生かす使い方にはあっさり大金を払う。

最近はインテリアを充実させたいと色んなものを買う。
ワクチン接種後の後遺症で行動制限がかかる彼にとって、「おうち時間の充実」がテーマだからだ。だからあんなに好きだった服も1年以上買わなかった。

人に感謝するときもそうだ。
副業を紹介してくれた人には高いカタログギフトを贈り、自分の家族にもプレゼントを贈った。

そのわりに「根菜類はこっちのスーパーで買うこと。あっちのスーパーは高いからね。」とか、やたら細かい。

ちなみに、みんな大好きユニクロも好きではない。だから買わない。いつ買ったのかわからないヒートテックを着ている。多分もう暖かくない。靴は20足以上持っているのに。

使いたくないところには、びた一文払いたくない。
それがとってもハッキリしている。

「破産するかも」なんてのも余計なお世話で、よく考えたら借金をしたことも、お金が足りなくて首が回らなくなったこともない。

学生時代にやっていた賭け事も「儲からないからばかばかしい」と全部止めてしまった。
当時の友達は、おじさんになった今でもやっているのに、誰よりも友達が好きなくせに、そこは流されない。

わたしだったら、「疲れているからこのスーパーでいいや」と適当に食材も買うし、ヒートテックなんて毎年買ってるし、会社で自販機は使いまくっている。好きな服はまず我慢できない。友達がやっていたら、つられてお金も出してしまうだろう。たとえそれがただのお付き合いや惰性であっても。

脱帽である。

自分の力でお金を生み出すことができる人、更に言うと、価値観がぶれない人にはかなわないのだ。

かといって、お金の知識がなくていいかというとそうでもない。

だっていつでも怪しげな話は来るものだし、向こうから来なくても今の時代は自分で見つけてしまうことがある。そこから身を守るには知識が必要なのだ。

知らないということは怖いことだ。税金も、保険も、ローンも、知っているか知らないかでは、結果は軽く数百万、数千万単位で結果は変わってくるだろう。

ただ思うのは、ある程度お金の知識を固めたら、一旦お金のことは忘れて、自分の好きなコトや、一生けん命になれるコトに、時間は使ったほうがいいよということ。

まあ正直、お金の知識は「ナニワ金融道」を全巻読めば事足りると思う。ただし全巻読んでほしいのだが。

そして私は価値観がブレブレになって浪費をしてしまうので、必死にお金のことを調べて自分自身をセーブしていたんだよな、ということにも気づいた。
なんだかそう思うと、「頑張っていたんだね」と思う。

こうして私は、いったんお金のことを忘れることにした。

だって趣味で集めた知識で仕組みはもう作ってあるし、やることも、しばらくはもうないのだから。

今年は自分にとって次のコトが見つかるといいなと思っている。
そしてもっとお金を生み出せないか真剣に考えてみたいなと思っている。


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