夫がワクチン接種後に急性心筋炎で倒れて、それから
2021年秋、私達を悩ませたコロナ感染者数が東京でも激減している。
外出する人も増えて、自分自身も含めて、街全体にウキウキした感じが漂ってきたと実感している。
感染者数が5,000人目前となっていた今年の夏、夫がファイザー1回目のワクチン接種直後に急性心筋炎で倒れ、私は文字通り、伴侶を突然死で失いかけた。
その時のことは以前書いた。
あんな状況でよく書けたねと時たま言われるが、わたしにとっては、表現することで気持ちを落ち着けることができたと思う。
今となっては日常の平和を取り戻し、ひりひりした感情も消えてしまったが、忘れないように、その後に起きたことを記録しておこうと思う。
突然の退院
GICUから一般病棟に移動したのは2021年8月21日だった。ようやくわたしたちのLINEのやり取りが復活した。退屈なのか、頻繁に通知が来る。
そんなことが数日続いたある日、「退院する」とLINEが入った。
クリニックで意識不明になり救急搬送されたのが8月18日。
8月28日に退院予定とのこと。
倒れた日から10日しかたっていない。
入院期間は短いのが最近の傾向とはいえ、ついこの間まで生死をさまよった人の急な退院に不安になった。
聞くと、ペースメーカーもはずれ、ECMO用の足の管も外されたという。ECMOは結局利用することなく管だけが通されていた。
リハビリもやたら順調だとのこと。循環器内科の病棟は高齢者が多いそうで、「三好さんは若いからね〜」なんて言われているらしい。
それでもやっぱり素人としては不安だ。
担当医の先生に電話して聞いてみることにした。
その時の一問一答はこんな感じだった。
①入院期間が当初の予定より短いので不安を感じるのですが?
入院期間は最初長めにお伝えしています。
経過が順調なのでこの期間になりました。
むしろ当初予定以上かかる場合は、かなり状態に問題がある場合です。
②退院後に家族として気をつけることは?
食事などは普通通りで構いません。
日常生活も通常どおり送ってください。寝起きも普通で大丈夫です。
ランニングなど激しい運動は控えてください。
運動は2〜4ヶ月後にできるようになると思います。
ちなみに担当医のT先生は、医師になったばかりのような、若くて背がとても高い、おそらくナイスガイな男の先生(ここは多分に願望を含む)。
淡々とクールに話す人だが、こちらの疑問にひとつずつ丁寧に答えてくれる。何度同じことを聞いても馬鹿にしない。
思うに、「病院は嫌だ」「医者は嫌いだ」という人は、治療内容に疑問を持つことより、説明や態度に疑問を感じることのほうが多いのではないだろうか。
質問すると「この前も言いましたよね」と言われたり、「なんでわかんないのかな〜」という言い方をされたり、「もっと重症な人がいるのだ。あなたは大したことがない(もしくは治っているのだ)。」みたいな態度を取られたり。
私もかつて、どれだけ傷ついたことか。
T先生は、そういうところが一瞬もないのが有り難かった。
退院当日
夫に会うのは、GICUに搬送される廊下でベッドに横たわる姿を見て以来だ。
なんだかこっちまで緊張する。いそいそと必要な物を用意する。
GICUに入るときに着ていた服はすべて返されていたので、洋服一式を持っていく。
靴は置いてきたので不要。靴下だけは忘れないでとのこと。
パンツも入院セットのパンツがあるからいらないよと言われたけど、いざ外に出るときは着替えたいのでは?と思って、家にあるものを持っていく。
服も迷ったが、彼のお気にいりのTシャツとクロップドパンツを持っていくことにした。
コロナ対応のため、病室に入ることもできないし、服を直接渡すこともできない。
看護士さんにそれらを渡して待合室で待つ。土曜日は退院する人が多いようで、部屋には他にも家族連れがちらほらといた。
いったいどんな風になっているのか?
げっそりやつれていたり、むさくるしくなっていたりするのだろうか?
構えて待っていたら、なんだか拍子抜けするほど、こざっぱりと爽やかな様子で現れた。
もっと感動するものかと思ったら、意外とそうでもなかった。
とても長い時間は歩けないようなので、自宅までタクシーに乗る。
家に着く数メートル手前で降りた。通常であれば1分ぐらい歩ける距離だが、ゆっくり歩く。それがその時の精一杯の様子だった。
倒れたときのこと
家に到着した夫が言うには、「話す」ということが一番苦しいという。
とはいえ気になるのは「何が起きていたか?」についてだったし、本人も話したいらしく、帰宅直後に語ってくれた。
夫が言うには、かかりつけのKクリニックに行く前は、
「ちょっと立ち眩みがするからヤバいかもしれないな」
という印象だったそうである。
自宅で歯を磨いていたところ、気づいたら頭を洗面所の鏡にぶつけそうになっていた。
まっすぐ立っていたはずなのにどうしてそうなったのか、記憶がない。
さすがに自分で運転するのはまずいと考え、近くに住む妹に送ってもらうことにした。
車中では話をしたり、病院の駐車場で駐車をフォローしたり、普通に元気だったらしい。
「駐車場で待っていて」と妹を残しクリニックに入り、スリッパを出した。そこで突然記憶が途切れたそうである。
気づくと床で寝た状態で、受付カウンターに半身が寄りかかっており、K先生に
「三好さん、聞こえますか?聞こえますか?ここはどこかわかりますか?」
と声をかけられていた。
「はい、聞こえます。ここはKクリニックです」
と普通に答えたが、またすぐふっと意識が遠のいた。
もう一度
「三好さん、聞こえますか?ここはどこかわかりますか?」
と言われて目が覚める。そこから救急搬送されるまでは意識があったらしい。
搬送された急性期病院では担当医となるT先生から問診を受けた。どうも救急隊員の人が心不全に気づいて、循環器の医師がすぐに呼ばれたようである。
T先生の問診が終わり、心不全を回復するためペースメーカーを入れることになった。
そこで鎖骨のあたりから管を入れている最中、ペースメーカーを入れる直前に、また気が遠くなったそうだ。
ちなみにその感覚は、ボクサーが倒されたときに「ふわっと気持ちが良い」という話を聞いたことがあるが、そんな話を思い出す感じだったとのこと。ふわふわと気持ちが良い。
その次の瞬間、ズドンという衝撃と痛みで目が覚めたという。「いててて」と声をあげる。
気づくとお腹の横に電気ショックを与えるためのパッドのようなものが二つ付けられている。そのパッドを誰かが器具で押さえている。
ズドンとされたときの衝撃で「いててて」と言ってしまったらしい。
「ちょっと我慢してねー」という声。
しかしまた次の瞬間、ふわっと意識がなくなる。
またふと目が覚めると、たくさんの人が周りに集まっている。
足元あたりで誰かが
「まずい、まずい、ゼロ!ゼロ!」
と叫んでいたそうだ。
最後に起きたときには首からペースメーカーを入れられていた。
鎖骨のあたりに穴を開けてペースメーカーを入れるまでの、ほんのわずかな間に、彼の心臓は止まったということのようだ。
ゼロというのは自脈がない、自分の力では心臓が動いていない、ということだったらしい。まさに死である。
ペースメーカーを入れれば、心臓の代わりに電気信号をつなぐ役割をしてくれるので、脈を打ち始めた。
こうして夫はまさに九死に一生を得た。
翌日、T先生が「あれ、このペースメーカー、ちゃんと動いていないかも?」という、まあまあしゃれにならないブラックなことを言っていたらしい。
どうもよくわからないが「何か」がズレてしまったようだ。
ペースメーカーが正常に動作していなくても問題がなく、そこで夫の心臓が「自分の力」で動き出したことがわかったそうだ。
(もちろん計測されているので、あれ?となる前に入院中は厳重に監視されている)
心臓が停止すると色々な機能が落ちるのか、GICUにいる間は便意ももよおさなかったそうである。
尿を出すのがとにかく大変で、本当は尿によって体内の水を出さないといけないのだが、最初は利尿剤が効かずに、薬を途中で替えて尿が出せるようになった。
心臓が止まると血液が回らなくなる、すべての細胞の活動が止まるんだなあと実感したらしい。
ちなみに夫は髪の毛が伸びるのがとても早いのだが、入院中は髪も伸びていない気がすると言っていた。
退院後にまた救急にお世話になった話
余談だが、退院3日後、また救急車のお世話になった。
昼間に耳が痛いと言っていたのだが、夜中に壁を殴るような仕草をするほど耳を押さえて苦しみだしたのである。熱もある。
最初は耳ぐらいで救急車を呼んでいいものか?と思ったが、見るに見かねる、苦しみよう。
今度は脳にウイルスや細菌が入ったのではないか?まだまだ知らない副作用があるのではないか?と不安にもなった。
完全に気が動転してしまったわたしは、深夜というのに夫の妹に電話して通話中のまま放置してしまったり、救急の番号がすぐに思いつかなかったり、実にアタフタしてしまった。
なんとか救急に電話してもうまく話せず、
「あの、あの、急性心筋炎で2日前に退院したばかりで…」
と話し始めると、優しいが毅然とした口調で
「"今”の症状をお伝えください」
と言われた。
「お薬手帳と保険証、服用中のお薬をご用意ください」
と言われたのに、お薬手帳は忘れてしまって一度取りに戻ったり、間違って自分の保険証を用意したりした。
家族が倒れた経験がないので、あたふたしっぱなしである。
「奥さんも一緒に来てください」
と言われて一緒に乗る。
近くに救急車を止めて搬送先を探すが、まったく見つからない。そもそも空きがないらしい。
コロナ感染者数が爆発していた頃で、たとえ空きがあっても「熱が37度8分」と言った時点で受け入れを拒否された。
PCR検査を受けたのは入院時だったので、10日以上たつとコロナにかかっていないことは証明できないからだ。
ようやく受け入れをOKしてくれたのは、自宅から1時間以上かかる病院。
高速に乗り、降りる。深夜に救急車の音を聞きながら都心を通り抜ける時間は不安しかなかった。
おそらくひどい外耳炎であろうということで、抗生剤と痛み止めだけもらった。
お風呂に入らずにリビングでうたたねしていた状態から救急車に乗った私は、服は部屋着に、髪と顔は汗でベタベタ。
夫と一緒にタクシーで帰宅した。14000円かかった。
ちなみに翌日、かかる病院を探すのも大変苦労したが、さすがに長くなるので省略する。
「今、熱の出る病気になると大変なことになる」「急性期病院はパンクしている」というのを身をもって知ることになった。
その後の様子、後遺症
退院後に最初に本人が気にしていたのが、「頭の回転が鈍くなっている」
ということだった。
T先生からも、心臓が停止すると脳に血液がいかなくなるので脳細胞が破壊されているでしょうね〜と、いとも軽く言われたそうである。
退院してすぐの頃は特に、人の話を一瞬では理解できない、組み立てができない、ということがあった。
夫は頭の回転がかなり早いのだが、多分これができないと死活問題になる。
ITコンサルの仕事に就いたが、仕事も生き方も変えざるをえなくなることを彼も私も思った。
結果から言うと、恐れていたことは今はなく、仕事も続けている。
次の変化として、体重が激減してしまった。
もう少しで私と同じ体重になりそうだ。そのためか、体力がなく、疲れやすい。
テニスもゴルフも、復活はしたが、以前と同じようにはまだできない。
私も2回入院したことがあるし、なんなら入院期間はもっと長かったし、一度は車椅子生活にもなったが、こんなに体重も体力も落ちなかった。
短期の入院なのに影響が大きい。
心臓を害するというのはそういうことなんだなあと思った。
また謎の胸の圧迫感があり、最初は話すのも難儀だった。
これは今でもまだ時々ある。つい最近までかなりひどくて、一生続くのかとも思われた。
でも心臓、肺、胃、調べてもどこも悪くない。内臓には何も問題がないのだ。
数日おきにピークが来て、すぐに息が荒くなり、話すのも蚊の鳴くような小声でしか話せない。「しんどい、しんどい」と言ってすぐに休まないといけない。
今一番悩ましいのはこの症状。
まさに後遺症である。
仕事も担当プロジェクトが決まっていたのだが、会話ができないと支障をきたすので、メイン担当から外れてバックヤード的な立場で動き回ることになった。
この胸の圧迫感については、11月現在のここ数日ようやく光明が見えてきた。
やっと長い時間、普通に声が出せるようになってきた。
結局の原因は
「急性心筋炎は風邪みたいなものでウイルスが心臓に着くことが原因だ」
と搬送時にも説明があったのだが、調べてもウイルスが入った兆しはなかった。
また他の重大な心臓疾患も見つからなかった。
「原因はワクチン以外考えられない」
というのが医師の所見であり、厚生労働省に報告も出された。
報告を受けて、入院中にファイザーから訪問まであったそうである。
その時は看護士さんなどはザワザワして、「三好さん有名人ね」とか言われていたそうだ。
夫は一応「予防接種健康被害救済制度」を申請する予定だが、急性心筋炎は因果関係の証明が難しく、補償された事例がなさそうである。
申請が通っているのは、ワクチン注射直後に起きるアナフィラキシーショックばかりである。
現在は急性心筋炎や心筋梗塞を起こしても、日本ではワクチンが原因とは認定されず、補償もされていない。
たとえ死亡したとしても。
このことは最近、問題になっているようだ。
ただし。。。
たとえ補償がされたとしても、対象は医療費なのである。
医療費は日本の素晴らしい保険制度のおかげで(これは本当にありがたいことではあるのだが)、元々それほどではない。
夫のケースでも2万円+入院セットの8,000円ぐらいが医療費の個人負担だ。
入院代は60万ぐらいかかったが、高額療養費制度で自己負担は10万程度しかからないうえ、更に加入する健康保険の付加給付で月2万円に抑えられたからだ。
幸い私たちには起きなかったことだが、休職や離職することで発生する生活費の不足、担当プロジェクトに発生する損害補償、死亡した場合の遺族への補償など、医療費以外の経済的ダメージのほうが圧倒的に大きいはずだ。
それが補償されないなら、あまり意味ないよな・・・という印象を持った。
(※上記は2021年11月の情報で、夫はまだこの申請は行っていない。)
それでも幸せだったこと
夫の入院から退院後のことを考えると、誰かが守ってくれてくれたとしか思えないほど、ラッキーが続いた。
・数日前にKクリニックにかかっていたのでPCR検査も終えていたこと。
(とにかくPCR検査をしないと診てくれないところばかりだったので、倒れたときにそこが省略できた)
・主訴をクリニックのK先生が知っていたこと。
・当日自分自身の異常に気付いたこと。
・妹に運転を頼めたこと。
・何より、自宅や交通機関でなく、Kクリニックで倒れたこと。
・搬送先がKクリニックから車で5分もかからない、急性期病院に決まったこと。
・救急隊員が心不全を起こしたことに気づいてくれたこと。
・搬送先でも迅速な処置をしてくれたこと。
時間が左右しそうな状況だけに、どれか1つでもボタンを掛け違えていたら、自宅で倒れたまま死亡とか、別の病院に搬送される途中で死亡とか、運転中に事故を起こして他人を巻き込んで死亡とか、最悪の結果になったはずだ。
そして退院後もラッキーは続いた。
転職したばかりの会社に報告したときに、
「体力も激減して胸の圧迫感で会話ができない。休職したほうがよくないだろうか?」
と本人が伝えたところ、
「うちは裁量労働制なので、無理せず1日1時間ぐらいから始めていいですよ」
と言われたらしい。
何時間働いても減額されることはない。
そう言われても頑張り屋の夫からするとプレッシャーもあるようだが、正直ありがたかった。
倒れる直前に決めた会社だったし、小さいながら入るのは難しそうなところであったので、転職できたのは僥倖だったと思う。
転職前のまま無職だったら今頃は経済的にも非常に苦しかっただろうし、以前の会社なら休職ということになって傷病手当金を受給する、あるいは休職できずに毎日フルタイムで無理して働く、ということになったはずだ。
ここ2年ぐらい、彼は不遇をかこつことがあったのだが、その中でも人に尽くす姿勢は変わらず、努力も忘れず、かといって信念をまげずに精一杯やってきた。
そのリターンが今急にやってきたような気がしている。
今のわたしの気持ち
最も身近な人が、不思議なめぐり合わせで命を落としかけて、拾った。
それを見ると、人はいつ死ぬかわからない、後悔しないように生きなくては、そして人生を大切に過ごさなくては、と感じている。
今は、死ぬまでにやりたいことを数えている。
人を死に追いやるワクチンがあることに憤りを感じないか?というと、今は不思議とまったくない。自分も打ったくらいだ。
でも万一そうなっていたら、私は残りの人生を償いを求める戦いや法廷闘争に費やしていただろう。
そう考えると複雑な気持ちだ。
本人だけでなく、わたしにとっても「拾った命」なんだなあと思う。
後遺症的なものはあるとはいえ、グビグビと家でビールを飲んだり、馬鹿な話を話したりしている様子を見ると、本当に良かったとしみじみ感じることがある。
関わってくださった医師をはじめ、支えてくれた人たちへの感謝の気持ちが湧いてくる。
この経験がこんな形で終わる物語で良かったのだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?