つぶやき 屋久島に流れ着いた媽祖娘娘
前ふたつのつぶやきの通り、屋久島に来た。
到着1日め、予習を兼ね、北部の主要な街で島の中心地でもある宮之浦の、屋久島町歴史資料館へ行った。
知らない街を訪れたらこの手の施設にはよく行っているが、地元の熱意と展示効果には隔たりがあることも時々あり、正直なところここにも大きな期待は持っていなかった。
展示は手作り感満載で、ある意味微笑ましい。しかし、というか、離島という特性からか、歴史がユニークで文化、習俗には多様性があり、台湾にも似た個性が感じられた。
ひとつひとつのコンパクトな展示はどれも興味深かったが、中でも印象的だったのが媽祖娘娘(まそにゃんにゃん)だ。
台湾に詳しい方にはおなじみの通り、媽祖は海の航海の安全を守る神様だ(娘娘は簡単にいえば結婚した女性を指す)。この神様の起源は省略するが、概ね中国大陸の福建地方から台湾で広く信仰されている。
展示によれば、その媽祖娘娘(の像)が、2017年に島南部の栗生(くりお)川の河口で見つかった。発見時像には貝の殻等がびっしり張り付いていたらしい。
専門家に協力してもらったが、分かったのは媽祖娘娘(もしくは西王母)だろう、というところまでで、どこのものかや年代は不詳のようだ。
屋久島には「寄り神様」信仰があり、各地から流れ着いたいろいろな神様が信仰されているとか。これも台湾に似ている。「この媽祖娘娘も、私たちに何かを伝えようとしたのかもしれませんね」と、説明は結ばれていた。
元は原色に彩られていたであろう媽祖娘娘。いつ、どこで作られ、どんな人たちの祈りが込められて、どんな航海の途中だったのか。どんな事故で海に投げ出され、どのくらいの年月をひとりで耐えたのか。なぜこの屋久島の、栗生という小さい集落に姿を現したのか。考えるだに興味深い。
こんな歴史的発見に、さぞ全島特に地元は沸いたのではないか。
と思いながら、今回の旅で泊まらせてもらった、まさに栗生に住む叔母にこの媽祖娘娘のことを聞いたら、「知らないよ。特に話題になってないし」とあっさり言われた。
叔母はまだ70代半ばで、歴史にもまあまあ興味があるほうだし、何よりこの小さな集落で起きた珍しいできごとを、聞き逃してると思えない。(それは集落のほかの人々も同じだろう)
想像するに、媽祖娘娘を引き上げた人たちは、なんだかよくわからないけど古い神様の像みたいだから、とりあえず町役場に持って行ったのかもしれない。
そこには、めったなものを家に置いて、あとで祟りにでも遭ったらエラいことだ、という心理も働いたかもしれない。
元々海の民にとって、海にあるものに国境はなく、広く「みんなのもの」だっただろう。ご縁があってその地にとどまり、あるいはまた流れ去るものでもあっただろう。
そのことは人々の意識や生き方に影響を与え続けてきたはずだ。
媽祖娘娘は、何を伝えたかったのか。