ただ楽しむ

今日は、「ただ楽しむ」ということにフォーカスできていたから、今日一日に満足している自分がいる。

つい最近、はじめた瞑想のおかげもあるのかな?

昨日までは、またいつのまにかエゴの声が優勢になって苦しんでいた。
何をするにも意味を持たせたがったり、他人から認められるために行動したり、自分に価値をつけるために頑張ったり。
「意味がないことはやっても意味がない。」
「他人から認められることでないなら、やっても無駄だ。」
他人と自分を比較しては
「自分は全然足りていない。何かしら出来るようにならなくちゃ。価値ある人間にならなくちゃ。」と、
もっともらしいことをエゴがいちいち言ってくる。
そのエゴの声に無意識的に「YES」と答えてしまっていた。
このエゴの声にフォーカスしていると、焦りや劣等感、自己嫌悪感が強くなっていって、何をしても、しなくても辛いし、苦しい。
挙げ句の果てに、力尽きて、無気力になり、全てがつまらなく、楽しいという感覚が思い出せなくなる。生きている意味が見出せなくなる。
「私って何だろう?私が生きていても意味がない。」という思いに苛まれて無価値感の塊になる。

毎日が楽しかった、小さい頃の自分を振り返る。

小さい頃は、行動の意味とか自分の価値とか自分のことが好きか嫌いかとか、そんなこと一切考えていなかった。
誰も知らない自分のお気に入りの場所に行くこととか、庭の植物や虫たちをじっくり観察することとか、ちょっと高いところから飛び降りることとか、本来の通学路じゃないところ(溝とか探検中にみつけた細い抜け道とか)を通って家に帰るとか、そんなことでワクワクしていた。心だけじゃなく身体全体にワクワクの感覚を感じていた。
目の前のそれがただ楽しくて、自分の世界で自己完結していた。
その頃の私の世界に他人が入ることは難しかったんじゃないかと思う。次々と現れる目の前の楽しいことに夢中だった。
ひとりでも楽しくて楽しくて、寂しいなんて感情もなかった。

「この小さい頃の感覚を、思い出したい!!」と強く思った。

今日は、小さい頃の私を見倣って「ただ楽しむ」ということを意識して過ごしてみたら、久々に今日一日に満足できている。

瞑想のおかげか、重たい思考、厳しい思考にも気づきやすくなってきている。
そういう思考に気づく度に、「ただ楽しむ」「自分に優しく」という意識に戻す。

今の私にとって、このフォーカスの調整が苦しみから抜け出す鍵みたい。
瞑想が自分を客観視することや思考に気づくことの上達に、すごく役に立っていると感じるから、瞑想は習慣化しようと思う。

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