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吾輩の配偶者は猫である。

今日は、猫の日。にゃんにゃんにゃん。我が家も、愛すべきブラウンタビーのアメリカンショートヘアー(♂・5歳)の猫と一緒に暮らしている。

猫と暮らすようになる前は、実家でトイプードル(♀・享年17歳)と一緒に暮らしていた。だが、猫と暮らすのは今の彼が初めてだ。

猫と暮らそうと思ったのは、当時働いていた職場に猫おじさん(仮称)がいて、彼が猫の素晴らしさについて毎日のように弁舌をふるっていたからにほかならない。まさしく、「布教活動」だ。

当時、私は離婚して2年、子どもと二人で暮らしていた。子どもとの二人暮らしは自由気ままで快適だったけれど、二人きりだと息が詰まりそうになることもあった。それに、子どもを育てるうえで動物との同居は色々いい影響があるんじゃないかとも思った。つまり、特に猫を愛していたわけではなく、長年の計画があったわけではなく、なんとなく「動物のいる暮らし」を送りたかったのだ。

今年、彼は6歳になる。2歳ぐらいまでは私や娘の腕や脚をひっかきまくり、噛みついて離さないこともしばしば。私の手首はさながらリスカ癖のあるメンヘラ。娘は顔に引っかき傷をこさえ、保育園で「本当に猫ですか?」と問い詰められる始末。しかし、4歳になるかならないかぐらいから、彼もずいぶんと落ち着いて、今では枕にしても黙って受け入れてくれる。

私はいつしか、彼のことを「配偶者」だと感じるようになった。健やかなるときも、病めるときも、ずっと愛しつづけているし、彼も私を愛してくれる。「添い遂げる」という感覚は、結婚する時ですらピンとこなかったけれど、今なら理解できる。私の猫に対する気持ちそれこそが「添い遂げる覚悟」だ。

家事をしてくれるわけでもない。子育てを手伝ってくれるわけではない(でも、情緒面ではものすごく子育てに力を貸してくれている)、稼ぎもない。毎日寝てばかりいる。でも、毎朝玄関まで見送りをし、帰ってくればすり寄ってくる。寝るときは必ず私の腕枕で寝る。先にも述べたが、昼寝をするときには枕になってくれる(ちょっと高い)。

そして何よりも、猫には気分のムラがない。私が疲れていようがイライラしていようが、常に同じテンションで「ごはんくれ」「なでてくれ」「おい、おもちゃ」「はよベッド」と毎日のルーティンを規則正しく回してくれる。私が結婚生活に求めていた「精神の安定」を、いともたやすく実現している猫。もうあなたなしでは生きていけない。

実際に、その気分の安定っぷりはヒトにも影響を及ぼしていると思う。私は割と気性が激しいタイプだったが、猫と暮らしていると細かいことはどうでもよくなる。「遊んで食べて寝る」ことが達成されれば、それでよくね?と思えてくる。休みの日にぐーたらして家から一歩もでなくても、猫を愛でていたんだから充実した休みだったと思える。そんな寛容さも教えてくれた。

また人間と恋愛をする日がくるのだろうか。そんなことを考えることもある。でも、猫を愛してしまった私は、もうヒトと恋に落ちることはできないかもしれない。とにかく、吾輩の配偶者は猫である。稼ぎはない。でも、種族を超えた愛を成就させたドラマがある。

すべての猫好きに、幸あれ。


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