国境の南、太陽の西

恥ずかしながら、村上春樹が好きです。そして、中でも国境の南、太陽の西、が一番好きです。10年ほど前に、北海道から東京へ帰ってくる寝台列車「カシオペア」の食堂車で、たまたま「世界の終わりとー」を読んでいたところ、眼鏡のヒッピー風のお兄さんが「僕もそれが一番すきです」みたいなことを言いながら話しかけてきて、しばらく村上春樹についてしゃべっていたのだけれども、私は「世界の終わりとー」みたいなアートっぽい小説よりも、もっと現実の汚い部分を奇麗に描いた、ノルウェイの森とか、国境の南〜みたいのが好きなんだよと思いながらも、ああここは21世紀のカシオペアの車中だ。そんなところにいるのはこんな人に決まってるや。と、一抹の諦念を抱いたことをふと思い出した。

ちなみに私は「銀河鉄道999」気分を味わいたくてカシオペアに乗ったクチです。乗車券まじ高かった。だけど、赤絨毯の食堂車でビーフシチューを食べたのはとても詩的な体験だった。

閑話休題

最近また読み返して、改めて好きだなと思った。ハジメくんは、私だ。恋の仕方や人生に対する考え方、「成功」というものへのイメージの抱き方(彼はそれを収めるに至っているが)、どれもこれもまんま私に当てはまりすぎてぞっとする。だから、自分を見失ったときに必ず読みたくなる。だけど、ハジメくんの軽率なところ(本人も、作者自身もそれを軽率とは捉えていないけれど)だけは、受け入れがたいし許しがたいし(私にももちろん備わっている)、認めたくないし、読んでいて心臓が締め付けられる思いがする。

なぜ締め付けられるのかというと、「大切な人の傷つけ方」というものが微に入り細を穿ち説明されているから。きっと私もこうして傷つけたんだ、と自分の「罪の意識」を否が応でも意識させられることや、罪の意識なしに人を傷つける場面を目の当たりにするのが(そういう現実を直視するのが)辛いんだと思う。

離婚する直前にもこの小説を読んだ。読んで納得しようとつとめた。でも、できなかった。

私の人生の課題のひとつは、この小説を読んでも悲しい気持ちにならないことだ。

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