人生を寝かせる

最近、ずっと休んでいた習い事に久しぶりに顔を出した。

とある外国の武道なのだけれども、2年ぶりぐらいだったのにもかかわらず、以前よりもすんなり身体の動かし方や技の出し方を理解することができたし、スムーズに動けた。

先日日経新聞にJamie xxというアーティストが紹介されていて、久しぶりにエレクトロ系の音楽を聴いた。

昔はRoyksopやSpace cowboy、MobyにMogwai、nujabesなんかも聴いていたけれど、あの頃はアッパーな曲を好んでいたし、アンビエントっぽい曲はあまり好きになれなかった。だけど今日久しぶりに聴いたら、静かな曲も、アンビエントも、あの頃よりも気持ちよく音が耳に響いて、こっちのほうがいい!とさえ思えた。

「本」にも同じことが言えるし、「味」もまた然りだと思う。

かつて面白さを見いだせず、最後まで読めなかった本を大人になって再挑戦してみると、びっくりするぐらいハマってしまうことも少なくない。そして昔嫌いだと思っていた食べ物も、何年かして何かのきっかけで食べてみたらものすごく美味しかったとか。

私はこういう経験が決して少なくない。特に「本」に関してはしょっちゅうある。そして私は「自分の成長」をそういう体験を通して実感している。(もちろん逆もたくさんある。面白いと思っていたものが急につまらなくなる現象)

最近では、「日本史」がそれだ。

全く興味がなかった日本の歴史だけれど、三谷幸喜の「清洲会議」を読んで以来、歴史小説はただ単に歴史の物語が書かれているだけでなくて、歴史上の人物の性格や当時の食事など微に入り細を穿っていることを知り、最近は夢中になって読んでいる。

かつて名声を馳せた人物や、腕はあるのに失墜した人物、影の功労者から当時の女性たち、その性格描写がとにかく面白い。フィクションなのかノンフィクションなのかは分からないけれど、「生き様」の描き方で言えば、時代小説の右に出るジャンルはないんじゃないか、というほどに時代小説を評価している。

私は書籍やCDの電子化に基本的には賛成しているけれど、こういう経験って電子書籍や音楽データだとなかなか出会えないのは確かだ。大掃除をしていて読んでなかった本を見つけたとか、買ってあまり聴いていなかったCDだとか、「すぐ手に取れる」かたちで残っていないと難しい。



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