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僕らが旅に出ない理由

夏が終わりました。夜、涼しくなったなぁ。
この夏は、猫を迎えました。
志摩に行きました。志摩観光ホテルに3泊し、オバマと世界平和に想いを馳せつつ娘とカニだらけの庭を歩き、毎日プールで泳ぎ、ホテルから出たのはたった2時間志摩マリンランドに行っただけ。ひたすらホテルステイをエンジョイ。

英虞湾が本当に綺麗で、日本は素晴らしい国だと気がつけてよかった。

子供を産むまでは、海外旅行大好きで、毎年夏と春にあらゆる国に行きました。(ちなみに一番好きな国はボリビア。二番目はイタリアの北部)
でも、ここ数年のインバウンドの波を日々感じるにつれ、海外旅行への欲望がシュルシュルと音を立て、泡が消え去るがごとく無くなってきました。

特に、百貨店とお台場。この2つの場所へ行くと、自分が外国でどんな風に見られているのかを見せつけられているようで、恥ずかしい気持ちでいっぱいになります。

私にとって、旅行の目的は『インプット』です。
異文化の中へ入っていって、その空気や人の生活ぶりや言語を見たり聞いたり感じたりして、自分とは違う思想や生き方を学ぶ場です。もちろん、リラックスしたり現実逃避したりもしますが、旅先ではとことん目立たぬように、空気に馴染むようにして、自分を異文化に溶け込ませたいと思っています。
自然を前にすれば、その国の人々がこの自然とどう付き合っていくのかを考え、歴史的な場所へ行くと、当時の偉人たちの様子を思い描きます。特に、ニューヨークは考えさせられることの多い都市で、そこで暮らす小説家がこの風景をどう眺めてあの作品を書いたのかだとか、どんな風にこの街が歴史を残しつつ発展してきたのか、ということをひたすら考えています。
だから、私の旅は『考えたいこと』ありきで、その場所に行かないと"想像に限界がある"というのが旅を思い立つ第一義的なものなのです。

が、ここのところ増加している、特にアジアからのお客様がたや、友人がSNSに投稿する旅の写真やコメントを見るにつけ、世間的には"旅=消費"だなと強く感じます。
それは、『お買い物旅行❤️』というわけではなく(もちろんそれもそうだけど)、旅行そのものが目的で、それを達成する、つまり飛行機に乗ってパスポートにハンコ押してもらうことに意味があるのでは…?ということです。
国境レスな現代において、買い物なんてどこでもできるし、どこの国の料理だって日本で食べられるし、だからこそ旅行には"意味"が必要だと思っていたのに、国内的なグローバル感覚をリアルにするためだけに飛行機に乗る人が多い気がする。それはもちろん他人様のことなのでどうでもいいのだけれど、本気で旅をする身としては、そんな風に見られるのは屈辱的なのです。そして、外国での日本人の評判に関わると思う。日本人はたくさん消費してくれてマナーがいい、という評判らしいですが、そんなアホみたいな評判あげてどうすんの。
日本人が、議論の相手として、また同じ世界で生きていく人間としてしっかり尊敬され、クレバーな存在だと信頼されなければ、今後のグローバル世界での発言権や立ち位置に関わってきます。
頻繁に日本に来たり、日本のことを勉強する人以外からすれば、自分の国に旅行に来た日本人が、その人の中でのスタンダードになっていく。だけど日本人はお買い物して、フードコートでご飯食べて、観光スポットで写真撮って、お台場と百貨店にいる外国人観光客と同じようなことをしている。私たちが、爆買いして東京タワーの前やら街中で写真撮って去っていく観光客に対して思う気持ちが、外から見た私なのか???
そんなことを思い始めたら、よほどの熱い思いがなければ海外旅行なんてできないなぁと思ってしまいました。
ま、おかげで日本の良いところをたくさん知ることができたし、もちろん時間とお金さえあれば飛び回っていたかもしれないけど。
大人になって休みも貴重だし子供もいて限られた時間だからこそ、有意義に使いたいものですね。
(と、いいながら40日の夏休みのほとんどを、猫とぐうたらして浪費したのでありました。)

#旅行
#猫
#エッセイ

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