「好き」を感じ取る器官

自分が美しいと思えるものを周りの人も同等に評価するとは限らない。
周りが評価し楽しんでいるものも自分が同じように感じることができるとは限らない。

そんな当たり前のことにやっと気づいた。

美術館のゴッホの絵や色鮮やかなプロジェクションマッピングにも感動はしなかった。空気感すら好きになれなかった。

私が好きなのはガラスから差し込む光や、情景を眺める美しい心だったりそれを表現する言葉だったり、生き物の皮膚組織なのだ。

美しいものに惹かれたり感動する心を持っていてもその心の震えを認識するための器官が萎れていては、街ですれ違っても振り返ることができない。


自分が心から好きなものを抱きしめるのは久々だ。長い間構ってあげられなかった分表面に積もった埃ごと撫でよう。

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