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寮生活の時代について

人生は戦いだにも書いてますが、寮生活していた
18歳からの生活について書いてみたいと思います。

築30年か40年の鉄筋コンクリートだったと思うが4階か5階建ての寮に畳6畳と板張りの床間と言っても、畳1畳もないちょっとしたスペースのある部屋に布団セットと枕だけの場所に上京してきた。
寮には、大卒だと5年間で高卒だと10年間となってました。
沖縄出身の同僚と二人で、その6畳の部屋で生活することになる。
押入れは、上下にあるので布団入れではなく、物置きになり、上下それぞれ使うことになるため、
畳6畳に常に布団を2枚敷いたいわゆる万年床という状態になる。
もちろん、週末の晴れた日になると屋上に布団がほせるので、ほしたりしていた。
押入れの自分の場所(上か下)に、風呂桶の中へ石鹸や歯ブラシ・タオルなどを入れたセットを置き、来たときの段ボールで棚や枠を作り、漫画本や小説などを置いてましたが、同僚の中にはゲーム機やゲームカセットを持ってきて置いてる子やエレキギターを持ってきていて休日に弾いてる子もいましたね
ただ、二人生活なので同僚が信用できる相手かどうかが生活で一番重要だった気がします。
なぜなら、寝食をともにすることが多かったからですかね。

電話も部屋にはなく、1階の玄関横に公衆電話が1台あるだけなので、順番待ちだから夜中なら使えるという感じでした。

トイレ、風呂は共同で、食事は、寮母というカタチで料理してくれるおじさんいたのですが、食事と風呂は寮生が多いため、時間制だった。
風呂に入るときに、部屋から風呂桶セットと着替えを持って時間内に入る感じでした。
食事は、夕食のみ1ヶ月のチケットを事前に買って、それを使って食べる感じでした。

残業や飲みなどで遅くなると、使えずに食べれないこともありましたが、チケット制なので来月の数日分として使うこともありました。

冷蔵庫も1階に大きな冷蔵庫が1台だけ共同だったので、自分のものに名前を書いて入れるのですが、やはり共同なので食べられたりするので、あまり同僚で入れる人は少なかった気がします。
ただ、会社の飲み会で余った料理とか若いから持って帰れとパックに入れ輪ゴムされ渡されるので、食べられてもいいので入れたりしてましたね

また、土日は食事がないので買いだめしたインスタントカップ麺などで生活してましたね
寮には、よく玄関の脇に書類捨て場があって、雑誌やコミックが捨ててあるので、古本屋に売りに行って、その金で買いだめしてました。

初任給は、135,000ぐらいだったと思います。
その後、部屋に沖縄出身の同僚がテレビを買い、俺がKENWOODのコンポを買い、毎週買っていたジャンプ数冊を台替わりにその上で使ってましたね!

それから数ヶ月後、沖縄出身の同僚が大阪に転勤になったので、俺は別室の同僚と生活することになった。

その同僚は、しゃべりやすく気さくでいい人そうな感じだった。なぜ1人になったのか話を聞くともう1人が、その子の預金を盗んだことから、親が迎えに来て、出て行ったそうなんです。
相手にもよりますが、6畳の部屋に2人だと相手が信用できるかどうかで生活変わりますからね

また、新しい寮が完成して移動しましたが、今度は畳6畳に1人部屋で良かったのですが、食事はなく、1階に共同の調理場はあるのですが、先輩方が使うので、調理場には行かなかった。
僕らは、部屋に電化製品は置いてよかったので、冷蔵庫と炊飯器・電気ポットを置いて使う感じでした。ガスが禁止でしたので、インスタントやレトルトになってました。

トイレ・風呂は同じく共同でしたが、シャワー室もあり、寮生の人数も新しい寮だけに以前より少ない人数になったので、時間制ではありましたがゆっくり入っていた気がします。
もちろん、遅くなった時はシャワー室を使ってましたね

洗濯機と乾燥機が、各階ごとに3、4台あったのですが、これも男子寮だったためかまわり終わっても入れっぱなしの人がいるので、触るのもイヤだったのですが、乾燥機に入れてから空いた洗濯機に自分の洗濯物を入れたりしてましたね

電話は部屋に1台あったので、その回線を使って
パソコン通信もできてました。
当時、深夜夜間だけのパケ放題があって、よく利用してましたね!

よく仲の良い先輩の部屋に遊びに行って、ゲームを楽しんでいた日々を思い出します。
1個上の先輩が、ゲーム好きで仕事の業種は違いましたが、同じ寮・同じ趣味でゲームやアニメ好きだったことや九州出身ということもあり、よく話したり、部屋に遊びに行ったりしてました。
先輩は、部屋で卓上電気コンロを使って鍋でシチューを作ったりしていましたね

当時、サターンやプレステが主流でしたので、エヴァンゲリオン、バーチャファイター、サクラ大戦で遊んでたような気がします。
そういえば、エヴァンゲリオンの映画も始まったばかりだったので、一緒に見に行った気がします。

今では、あれから数十年経ちますが辞めていった同僚や先輩方がよい人生を送っていることを願うばかりとなっています。

今は、派遣社員で寮生活者もいるそうだが、
正社員であればこそ頑張れたし、我慢もできたのかもしれない。
派遣で30歳前後まで寮生活をしていたら、労いの言葉もなく、「じゃあな」でおしまいで金銭的な貧しさだけじゃなく、人間関係の貧しさも大きく感じるそうだ。
いろんな話や家族関係、家庭環境の話もタブーみたいで、付き合いは上っ面。2年間まったく会話しない人もいるそうだ。

たしかに、あまり話さない同僚は正社員でもありえるだろう。
しかし、今の時代だからこそ考えて自分らしく長く働いていける環境を手にいれるべきなのかもしれない。
それさえも簡単なことではない時代を迎えているのだろう!



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