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三宅ノート3

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2015年5月の記事一覧

我々に必要なのは対極と対極の間の運動。

もし、ある目標へ向かって、どうしてもたどり着けない時は、こう考える。

その目標と対極にあるものは何か?

そして、逆方向にその対極へ向かってみること。

そして、その対極を通じて、もう一度目標に向かうこと。

そこに道があるかもしれない。

だって我々に必要なのは、そこにたどり着くことよりも寧ろ、

対極と対極の間の運動なのかもしれないのだから。

プログラミングと言語ゲーム

プログラミングというものは、必然的にヴィトゲンシュタインの「言語ゲーム」を含んでいる。

なぜなら、プログラミングにおいて変数や関数は、それが名前の付けられた時点では、何ら機能を持っていないからだ。

それは、それらが使われること、使われるルールの中で、定義付られる。

変数はデジット上のパターンであり、このアドレスの値を、その後、どのように使うかで、意味づけられる。たとえば、色を指定する変数 _

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プログラミングと言語ゲーム

プログラミングというものは、必然的にヴィトゲンシュタインの「言語ゲーム」を含んでいる。

なぜなら、プログラミングにおいて変数や関数は、それが名前の付けられた時点では、何ら機能を持っていないからだ。

それは、それらが使われること、使われるルールの中で、

定義付られる。

変数はデジット上のパターンであり、このアドレスの値を、その後、どのように使うかで、意味づけられる。たとえば、色を指定する変数

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汝、自身を知れ。

汝、自身を知れ、というのは訓戒だけではない。

自らを知ることは、現在の自らの対立を知ることである。

自らを知り、自らの対となるものを知り、

自らに、対となるものを内包しようとする試みにおいてこそ、

人は成長する。ゆえに、

汝、自身を知れ。

数学とプログラム

数学は構造を作ったりしない。定義したものの構造と性質を調べるのが数学である。

もちろん時に、構成を作ることがある。具体的な例として作ることや、反証のために作ることもある。しかし、それ自身が目的ではない。しかし、実際の数学の研究では、そういった構成によって具体的なものを研究しながら、一般論に上がって行く。一般論しかできない数学のことを、General Nonsense と言ったりする。

しかし、

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自らを世界に放ち、自らを取り戻す

行動とは世界の流れに全身を以て調和することである。一つになり自分の意志と世界の流れを混ぜ合わせ、一つの方向へ導くことである。

自分自身へ戻る、自分を得る、ということは、

世界から断絶し、逃避し、遮断し、自分が自分であることを、

獲得することである。

そして、人間はそこからもう一度、世界へ向かって戻って行くのである。

世界を志向し、溶け合おうと行動するのである。

この自らを世界に放ち、そ

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行動を作ること。

行動を作ること。生きることは常に創造的であり、

それは人間の基本的かつ最高の権利であり、それを教えるのが教育である。

今日の計画を立てる。

落ち着いて、毎日の計画を立てる。

その最高の権利を手放さないこと。

未来に関して自分自身の行動を自分自身で組み立てられる権利。

これが人間の持つ最高の権利であり自由である。

30,40,

中距離マラソンで走りきった時みたいに、ただ茫然としている。

20になった時、世界一になろうと決めて、さんざんな目にあって、29になった僕には、何も得られなかった。そして、大学からゲーム業界に就職した。

30になった時、30代を全力で走りきろうと決めた。人生は39までで十分だ。平凡な人生よりも、短く走りきろうと決めた。結果、へとへとになって40の瀬戸際に座り込んでいる。ゲーム業界に入って10年強

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時間軸をあわせて、コンテンツを。

エンターテイメントは変化した。かつて人がコンテンツと接する時間は、仕事や学校から帰ってテレビを見たり雑誌を見たり、マンガを読んだりゲームをする時間だった。休日にイベントか映画、コンサートに行く。

しかし、2006年以降は、誰しもべったりと、インターネットを通じて、携帯からコンテンツに接する時代になった。

だから、以前の「その時間だけ楽しめるコンテンツ」から、「一緒にこの時代を生きてくれるコンテ

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物語は求められる。

人間は成長するために、いろんな体験が必要だ。

ところが、人間はあるところから、現実の体験だけでは足りなくなって来た。

或いは、現実の体験だけではない体験によって、より成長できることを学んだ。

そうやって物語は人類に欠かせないものになって来た。

時にそれは社会に必要な物語であり、時に個人に必要な物語なのだ。

アニメーションが量産されている。これはビジネス面からはそう言われる。

しかし一方

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ゲームとクオリア。

ゲームの世界に現実世界のいろいろなクオリアを持ち込むこと。

土を踏むざくざくした感じ、

川の流れにくい感じ、

部屋の片づけにくい感じ、

古本屋の本の撮りにくい感じ、

紙のやわらかい感触、

そういうものを、ゲームの上で再現できたら、そこは、

人間の生活環が侵入可能な領域として、

その人の固有の生活環と地続きになる。

それが、スマートフォンが得意とした感覚のゲーム。

大型デジタルゲ

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行動と省察。

行動とは、世界に自分を放ち、世界と自分を融合させることである。

省察とは、世界に溶け込んだ自分を、引き戻すことである。

行動と省察は、吸う息と吐く息であり、

世界を生きる呼吸であり、生きることそのものである。

息を吐くことは、世界に自分を放つことであり、

息を吸うことは、世界から自分を引き戻すことであり、

生活のリズムの中で、自分を力強く世界に放ち、

夕暮れとともに、自分を内面へ引き

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変えられるもの。

人間は、押せば、動くというものではない。

押すと、動くの間に、知能があり、それは反応を消したり、遅延したりする。

そのプロセスを知能と良い、そこに楔を打ち、秩序の基礎を作るのが、言葉である。言葉は環境の海と戦い、人間の土地で、人間の秩序を打ち立てようする。

それは人間が虚無から自律して、
虚無と向き合う自分を手に入れることでもある。

何度も、同じ記憶を、思い出す。

何度も同じ夢を見る。夢ではない。目覚めながら、思い出す夢。

それはドイツの森、深く。

僕は馬車で旅路を急いでいる。しかし、どうしても夜が更けて、

深い森の中の小さな町に宿泊する。

そこには、三軒の綺麗なホテルが大通りに面していて、

街といっても、大通りがひとつと、それに面したホテルとレストランと民家しかない。

とにかく三軒のホテルは青、ピンク、オレンジ色の外壁をしていて、

仲良く三軒

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