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【🌏私の地球カリキュラム㊲】 車椅子人間は生きて行くのが難しい 私のネガティブな思考 

障害者として、車椅子に乗って社会復帰を果たし、3ヶ月が過ぎようとしていた。

辛く、厳しい職場。
障害者として生きていくことも、
社会人として生きていくことも、
人間として生きて行くことも、
難しいと思っていたそんな時。

滅多に鳴らない、
私の携帯電話がプルルルと鳴った。📞

伯母からであった。

伯父が亡くなったと。
伯父は長年病気療養中で、しばらく会えていなかった。

伯父・伯母には子供がおらず、
小さい頃から可愛がってもらっていた。

そして、
伯父は私が若かりしころ、上京することを身内の中で唯一応援してくれた人でもあった。

車椅子の私は、
式に参加するべきか?会場まで行けるのか?
どうするべきか悩んだ。

行けば、必ず両親に会わなければならない、
ものすごく嫌だった。

しかし、伯父に最後のお別れをしたかった。

翌日、タクシーで式場へ向かった。 

無事参加する事ができた。
きちんとお別れが出来て良かった。

火葬場まで行くつもりは無かったが、
しっかりとお別れが、したくなり、
火葬場行きのバスに乗ろうとした。

私がバスの近くまで行くと、
式場の人がバスの運転手に「これ乗る」と言った。

バスの運転手は、顎をクィっと傾けて
さー?といった表情。  

あー〜(-_-;)
そーゆーことですねと思い、私は火葬場に行くことを諦めた。

それで良いと思った。 

しかし、
その様子を見ていた母が
「うちの車に乗りー💢」と言ってきた。
バス運転手の態度を見て腹が立ったらしい。

ハッキリ言って、
私もバス運転手の態度に腹を立てていたので、
母の言葉に反応してしまった。

駐車場に駐めてある実家の車まで行き、
車椅子をたたみ車に乗り込んで出発するのを
待った。

しかし、
車の後ろから聞こえてきた父の言葉は、
「こりゃー乗らんど」であった。 (。-_-。)

軽自動車にも乗せられる車椅子が、
普通乗用車に乗せられないはずがなかった。

父は、
トランクに荷物をたくさん乗せていたのかもしれない。

しかし今日は、
歩けない娘の車椅子を乗せるかもしれないという、想定は出来なかったのだろうか?
(~_~;)

私は、実家の車から降り車椅子に乗って
無言でその場をは離れた。

表現しようもない感情が込み上げてきた。
この思いをどこに持って行けば良いのか
分からなかった。

自分でタクシーを呼び帰路についた。

親とは、それっきり会ってはいない。

私は、なぜ?
     生きているのだろ?
     生きていないといけないのだろ?

ネガティブな思考が頭の中でグルグルする。🌀

私のこの、ネガティブな思考が良くないのか?

『引き寄せの法則』というものがあると、
何かの本で読んだことがある。
私は、負を自ら引き寄せているのだろうか?

日々、身も心も辛い。

職場には沢山人が居るのに、
1日ほぼ誰とも喋らない、家に帰っても、
もちろん1人喋らない。

人間という生き物は、
自分の思いを喋ったり、人とコミュニケーションをとらないと、心が枯渇し崩壊するのだと
知った。

心をカチカチに固めて、耐え忍びながら、日々働き、生活をした。

何も感じないように。
そうして、一年以上が過ぎていた。

何もかも、終わらせてしまいたい。
けど、そんな元気も力も今の私にはない。

自分が生きているのか?
生きていないのかも分からなくなっていた、
そんな時。


    ✨ 救世主が現れた。✨

    【私の地球カリキュラム㉘】へつづく

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